私自身は30歳くらいから8年間ほど茶道を習っていました。海外で働いていた20代の頃、周囲から日本文化のことを質問されてもまともに答えられず、とても恥ずかしい思いをしたことが多々あったからです。よくあるパターンですが、日本の外に出てみて漸く自分がどれほど自国の歴史や文化に無知であったかに気づいたのでした。
茶の湯の世界は日本文化がぎゅっと凝縮したような世界。茶道教室は作法だけではなく、建築、やきもの、書画、歴史、料理、日本人の考え方などいろいろなことを総合的に学ぶことができる場でした。もう花嫁修業とかいう時代ではなくなりつつあったけれど、先生は女性の生徒さんしかとらず、周囲も作法を学ぶために習いにきている人が大半でした。教室に通いながら、こうした世界を知る機会が多くの場合、女性にだけしか開かれていないのが残念だなあと感じていました。
これも最近読んだ本です。
著者は武者小路千家次期家元。日本の文化が詰まった茶の湯の世界、その歴史について、とてもわかりやすく興味深く書かれた一冊でした。
茶道が礼儀作法、女性の花嫁修業科目になったのは歴史の中ではごく最近、戦後のことなのですね。日本史を振り返ると茶の湯に熱中していたのは女性よりもむしろ戦国武将たちだったりします。茶の湯は元々、男性の嗜みで、戦国時代は茶道具ひとつが一国一城の価値をもつものと考えられたりしてました。著者がいうには成りあがってきた武将が旧世代の公家たちと文化の力で対等に戦うための「土俵」が茶の湯であったと。茶の湯とは「文化の圧縮解凍ソフト」みたいなものだったという例えが面白かったです。
そんな時代に茶の湯の道具や空間を演出した利休。彼の考え方、発想が当時は非常に斬新で革命的であったことを改めて知りました。当時は茶道具といえば唐物が最上級の品。武将たちが一国一城と引き替えてもと願うほどのものでした。その唐物が陣取っていた茶席の空間に漁師が使う魚籠や自身で切って加工した竹花入れを使用したのが利休でした。無価値と思われていた雑器も天下人からお墨付きを与えられた利休が茶席で使えばその値段が何倍にも上がる。個人の美意識が新しい経済的価値を創出したのですが、その勢いに権力側はこれに危機を覚えるようになったという。利休ってすごい文化の革命家だったのだなあ・・と思います。
このほかではお茶を飲む時に茶碗を90度回す理由とか「わび、さび」の本来の意味とか・・教室で教えてもらっていたのとは違うもっともっと深い意味があることに驚きました。そしてその意味を知ってより深い感動を覚えました。このような本に教室に通っていた頃に出会いたかったなあと思うくらいためになりました。後日もう一度読み直したいです。
今年もゆかりんさまが筍を送ってくれました。今日の彼女のブログでご主人が大変な目にあいながらも筍を掘り出してくれたことを知りました。そんな苦労も知らずにいただいてしまって! ありがとうございました。
早速、湯がいて、炊き込みご飯や、がんもと一緒に煮物にしていただきました。シャキシャキとした歯ごたえでとても美味しかったです。スーパーにまだ売っているけれど、アク抜きするのが面倒なので今年はもういいかな~(笑)