今週はこの本を読みました。著者は日本在住のオーストラリア人。小さい頃から日本が好きで日本への留学を経て来日、以来全国のお城を訪れています。日本各地の名城、戦国武将のことなどわかりやすく解説されていて、日本人でも知らないことがいっぱい書いてあって面白く読めました。

 

読み終えて印象的だったのが、外国人が「サムライ」という存在に対して抱く尊敬や憧憬の想いでした。日本以外の国でも世界の歴史には戦国時代的な時期があって、戦うことを職業とする人たち(戦士、兵士、騎士)がいました。でも彼らは「戦うだけ」の人たち。一方で日本のサムライたちは礼儀を重んじ、芸能や文化を嗜む心ももっていました。それだけでなく常日頃から自身を鍛錬する精神性の高さも。そういえば、能、狂言、茶道、和歌など日本の伝統芸能は平和な江戸期に深みを増し、爛熟の域に達しましたが、先立つ戦国時代、それらを愛好したのは武将たちでした。この身体の頑強さだけでない「精神の崇高さ」こそ外国人の心に響くものがあるのかと感じました。

 

それで思い出したのですが、最近読んだ「アーロン収容所」に書かれていた収容所内でのあるやりとり。日本人捕虜が英国人の中尉と話す場面がありました。そこである日本人が「日本は間違っていた。申し訳なかった。これからは仲良くしたい。」と言ったんです。そうしたら、その英国人はきっとした態度になり「君たちは奴隷だったのか?」と聞いてきました。英国人の発言はこのように続きます:「自分たちは祖国の行動が正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。(中略)負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。多くの戦友をビルマ戦線で亡くしたが、彼らが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。我々は日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。」

 

 

彼らは日本人に歴史上の「サムライ」のイメージを投影してみているのかと思いました。自分自身もハッとして、その後考えさせられた部分です。日本の歴史にはこんな精神性の高い人たちが生きた時代があるのです。現代にいきる日本人もそれを汚さない生き方をしないといけないと思いました。グローバル化の時代、そういう部分こそが他国の人からも敬意を受ける理由なのだから。