週末、天気が良かったので出かけてみることに。県境を越えるのは憚られるので近場の海でも観に行くことにしました。上の写真は犬熊海岸。この辺りは漁港や海水浴場が多くあって風光明媚なところなのですが、若狭地方の海沿いって、観光客にあまり優しくないというか、オープンでないというか、場所にそぐわない駐車料金を請求されてしまいます。空き地はいっぱいあるのに、ちょっと車を停めて10分くらい海を観に行ってみようかということができない。💦
この辺をうろうろしました。
海を見た後、早々にUターン。
戻る途中に「象つなぎ岩」という看板がありました。ここを通過するたび何度か目にして気になっていました。せっかくなので見に行ってみようと看板の示す方向へ曲がりました。グーグルマップでたどりついたのがここ。小さいお宮さんと看板があるだけのところでした。
小浜市はいまは人口わずか3万人たらずの地方の街ですが、その昔は日本海屈指の海港でした。室町時代に象を載せた南蛮船がこの地に着岸したそうです。足利将軍の時代、海外との交易は平清盛が開いた兵庫の大輪田泊を使っていましたが、わざわざ日本海側に周って若狭に着岸というルートにしたのは、この地の商人たちが相当の力を持っていたゆえだとか。若狭経由のほうが京都にも近かったからなのでしょう。
看板の説明によるとスマトラの王様から足利将軍に黒象のほかに孔雀、オウムなどが献上されたとあります。看板の王様の名前、「亜烈進」卿って「アラジン」卿のあて字ですよね。
看板右上の写真を拡大したもの。ネットからお借りしました。
この絵のような場としてイメージするのは長崎とか神戸とか、現在も異国の情緒が残る街です。それがまさか日本海側のここだったなんて。現在の風景はこんなの。ギャップに驚く。
その時の象をつないだ岩。
岩というよりは、普通の庭石程度の大きさなんですけど。
こんな小さい岩に繋がれていたのなら子象だったのかと思いきや、絵をみると結構な巨象なのですよね。岩は道路工事などで埋もれてしまったようです。
興味が湧いて調べてみたその後の象の運命が哀しすぎました。何年か後、再び日本から朝鮮に貢物として贈られてしまったそうです。その理由は幕府が大量の餌を調達できなかったから。この象はかの地で役人を踏み殺してしまい、またどこかへ島流しにされてしまったんだとか。なんという流転の運命なんでしょう。
近くの風景。