舞鶴の東郷邸見学の続きです。この建物は映画ロケでも使われていたようです。昨年訪れた滋賀・五個荘の近江商人のお宅が役所広司さん演じる阿南陸軍大臣邸として撮影されていましたが、東郷邸は鈴木貫太郎首相の私邸として登場したそうです。

 

 

 

三浦春馬さんの映画でもロケで使われていたのですね。

 

 

二間続きの和室。お客さんがあったときの食事はここでしたのでしょうか。東郷邸は太平洋戦争終結まで官舎として現役であったようです。それぞれの時代に長官とその周囲ではどんな会話が交わされたのでしょう。

 

 

 

 

書斎。文机があり、その向こうに庭(一心池)を望みます。

 

 

 

前日の記事に書いた米国のニミッツ元帥。東郷元帥を師と仰いでいました。1976年、米国内にニミッツ記念公園が建設された際、ニミッツ元帥の遺志として東郷元帥ゆかりの「一心池」と同型のものが公園内に建設され、その時、日本の海軍OBらが日本庭園を寄贈したそうです。

 

ここから引用↓

 

 

 

 

外に出ました。今度は外観やお庭の様子を少しだけ見学。瓦の部分に錨のマークが!

 

 

これは防空壕でしょうか。

 

 

玄関入り口に歴代鎮守府司令長官の名前が書いてありました。

 

 

初代から五代目の八代さんくらいまでは小説で名前が出てきたので見覚えがありました。みな、日本海海戦に参加されてました。この一覧をじっと見ていたら、職員の方から声をかけられ、「この近くにある水交社正門跡に歴代長官お手植えの桜の木があるからみてくると良いですよ。」と教えてもらいました。水交社って何かと尋ねたところ、旧海軍将校の親睦団体のことで、士官らの社交場であったそうなのです。陸軍の場合は偕行社があったと知りました。職員の方はわざわざ建物の中に資料を取りに行って、この写真を見せてくれました。いまはこの場所に自衛隊の官舎が建っているとのことで。場所を教えてもらい、徒歩で行ってみることにしました。

 

 

来た時には気づかなかったけれど、車を停めた場所のすぐ近くでした。後ろの官舎に同化していて気が付きませんでしたが、そんな歴史的建造物の遺構だったとは~。

 

緩いカーブを描いた門は大正時代の建造。写真でこの背後にあった建物は二階建て、煉瓦造りであったとか。なんかフランスぽい建物。この時代の洋風建築って本当に素敵ですね。戦後は在日米軍が使用していたみたいです。

 

 

 

 

 

 

東郷大将手植と読める碑を見つけました。しかし、そのお手植えとなる桜の木がどれかわかりませんでした。

 

 

読めない・・・😢 

 

この奥にある松の木は大正天皇が皇太子時代に植樹されたもの。皇族のお手植えは一段高い段の上に。

 

 

 

小さな公園になっています。私自身、江戸時代やそれ以前のお寺、神社をよく観に行きますが、この辺をみていると、やはり自分が生きている時代に随分近いように感じました。たまたま興味深く司令官の名前をみていたことで、声をかけてもらい教えてもらったけれど、そうでなかったら、きっと気づくことなく通り過ぎていたような場所。この後はもう一か所、海上自衛隊敷地内にある海軍記念館へ行きました。続きます~。