東条英機をはじめとする7人のA級戦犯が処刑されたのは昭和23年12月23日。この日は皇太子明仁の誕生日でした。アメリカはなぜこの日を選んだのか。アメリカがその時、将来の日本に打ち込んだこの「楔」の意味は。

 

戦犯28人が訴追されたのは昭和21年4月29日。昭和天皇の誕生日です。東京裁判の開廷は昭和21年5月3日。現在の憲法記念日です。アメリカからの「押しつけ」と批判される戦後憲法が施行されたのは昭和22年のこの日。昭和天皇の誕生日に28人を被告人として起訴することで、マッカーサーは「あなた方は代わりに罰を受けるのですよ。」というメッセージを送り、未来の天皇誕生日に彼らを処刑することで、皇太子明仁に日本の武装解除を刻印させたという。

 

アメリカ側は日本の戦後処理において、二度と日本に武力を持たせないよう徹底しました。東京裁判においてはオーストラリアや中国、ヨーロッパの国々の判事らの間で、天皇の戦争責任を主張する意見がかなり強くありました。アメリカ本国でも世論は天皇の訴追を求める声が優勢だったそうです。そんな中でなぜマッカーサーは天皇訴追を阻止しようとしたのか?天皇を訴追すれば日本の情勢を混乱させ、再び流血を見るかもしれず、そうなったら占領軍の増員が必要になります。それらアメリカ側の負担(コスト)の面からも天皇の訴追を避けようとしたのでした。アメリカが対日占領政策において仕掛けた構図。それがのちに徐々に見えてくることになりました。

 

平成の世になり、新しい天皇がとりわけ注力されてきたこと、それは戦没者への慰霊の旅でした。玉砕の島、サイパン島で皇后さまと並んで頭を垂れておられた後ろ姿を私自身も強く記憶しています。国内の各地、海外へ出かけられたときも天皇は死者と向き合うことを強く自分に課してこられました。お二人の姿を目にした日本国民の胸には去来するものがあったはずです。皇太子として15歳の誕生日に打ち込まれた刻印、その歴史の重荷をずっと背負ってこられたのが天皇陛下であったのだと思いました。

 

私自身はだいぶ前に「東京裁判」の記録映画を観ており、その時に戦犯らの処刑日が当時の皇太子の誕生日であったことを知りました。それには米国からの報復的な意味があったのかと考えていましたが、マッカーサーの意図はもっと大きな構図で深いものだった・・ということをこの本で知りました。またその後、ベトナム、イラク、アフガン・・アメリカの占領政策はことごとく失敗に終わってますが、日本だけはうまく行ってます。やはり日本の場合は国体護持によるものだったのでしょうか。この本を読んで、ふと思ったのは、こうしたことを人に説明できるかしら、ということでした。私たち日本人の多くは歴史の授業で、起こったことを単に年号と事象で暗記しているだけで、それぞれの事象の意味や、それらがどんな文脈で起こったか、深く考えるという過程を飛ばしているのですよね。歴史を学ぶこと、考えることの大切さ。そうしたことも改めて考えた一冊でした。