滋賀県・琵琶湖の北端近くにいます。

 

 

 

十一面観音像を拝観した後、歴史民俗資料館に行きました。徒歩数分の距離にあります。車はここの駐車場に停めました。先の観音堂の拝観券を見せると入館料が少しだけ割引されます(300円→250円)。館内は写真撮影禁止なので、写真はありません。

 

 

館内に展示されていた仏像の中にこれまたインパクト強烈なものがありました。「釈迦苦行像」というもので、断食修業でやせ細った姿のお釈迦様の姿です。明治初めの廃仏毀釈が進められていた頃、お寺の住職さんが大阪の古物商で見つけて、こちらに持ち帰り、祀ったという説明がありました。骨と皮だけにやせ細った釈迦は、あばら骨が浮き出てドキッとするようなお姿です。目だけは何かを凝視するようなランランとしたものを感じました。お釈迦様の苦行姿の像は日本ではあまりないようです。私も初めて見ましたがすごかった。記憶に刷り込まれてしまいました。

 

このほかで印象的だったのは十六羅漢さまの姿。16人それぞれがユニークというかユーモラスというか、とても人間的で。笑い声や冗談など談笑する様子が聞こえてきそうな豊かな表情です。


また観音像を祀る琵琶湖北部の寺を示した地図がありましたが、その数の多さに驚きました。毎週一か所ずつ見に行っても一年で回り切れるか?というくらいたくさん!この地が観音の里といわれるのも納得しました。

 

資料館を出てから、渡岸寺界隈を少し散策してみることにしました。観音様のことを調べた時に渡岸寺と向源寺の二つの寺名が出てくるので紛らわしかったのですが、前者は長浜市高月町渡岸寺という住所、お寺の名前が向源寺。また観音様が安置されている建物が渡岸寺観音堂という名、ということです。


資料館から山門にいく道沿いに大きな木がありました。

 

 

 

樹齢300年と推定されるケヤキです。しめ縄が巻かれていて、この地域のご神木として大切にされている様子が伺えました。これも存在感すごい。

 

 

 

その下を流れる川。用水路?川床の色とほぼ同化していてわかりづらいですが、大きな鯉が二匹。泳いでるというよりは流れに抗する方向に顔を向け、ゆるゆるとリラックスしている様子に見えました。

 

 

ここで地元の方から声をかけられました。どこから来たの?と。地元のことにとても詳しくいらして、いろいろこの地の歴史や地理関係のことを教えて下さいました。暫く立ち話しているうちに話題に出たのが、この近くにある小谷城跡。よく見える場所を教えてあげる、と道案内いただきました。後ろからついていく。後ろ姿だけ勝手に掲載させていただきました。😓

 

 

資料館の近くにいた時は住宅などの建物で景色が遮られていたため、よく見えませんでしたが、そこから少し歩いたら視界が開けた平野に出ました。その向こうにあるなだらかな傾斜を持つ山が小谷城跡とのこと。意外と近いです。

 

 

小谷城は北近江を拠点とした浅井家三代にわたる居城でした。自然の地形を巧みに要塞化した山城は難攻不落の地といわれ、浅井長政の時にここを攻めた織田信長も相当難儀したとのこと。

 

 

視線を少し右に移すと虎御前山・・だったかな。💦 その向こうに姉川。反対側になりますが、ここから少し北にあるのが賤ヶ岳。歴史好きにはたまらない地名がいっぱい出てきます。指差しながらひとつひとつエピソードなども交えて説明いただきました。この方、かつては、この地一帯の地主をされていた家の方だとのこと。テレビにも何度か出たり、取材を受けているんですよ、と仰ってました。思いがけない出会いで、またいろいろ新しいことを知った日になりました。最後にお礼を伝えて、帰宅の途につきました。

 

 

自宅に戻ってから、今度は小谷城へ!と思っていろいろ調べてみたのだけれど、やはり熊リスクが高そうでまだ決心がつきません。登るなら土日で登山者が多い日でないと無理かもしれません。


さて、この日は高月町に来る前に、木之本宿に寄ってお昼ご飯をいただきました。次はその時のことを。続きます。