伝健地区(伝統的建造物群保存地区)のカテゴリーにある「茶屋街」。それが残っているのが京都、金沢、小浜の3ヶ所なのだそうです。小浜市に残る古い街並みの一角、三丁町がそこ。路地の両脇に繊細な千本格子の建物が軒を連ね、当時の面影が感じられます。京都の祇園の街並みを思い出すような感じ。実際、三丁町は祇園を模して造られたそうです。いまはとても静かな街(コロナ禍以前でさえ・・!)ですが、北前船の寄港で賑わった時代は年間1000隻の船が入港し、港にあるこの界隈は不夜城といわれるほどの賑わいだったそうです。当時の料亭が現在、休日だけ一般公開されており、先日見学に出かけてきました。
ガイドをして下さる方がみえて、建物の内部をずっと案内していただきました。ここ、明治時代から平成の始めまで営業されていたそうです。元料亭として一般公開されるようになったのはここ数年のことだとか。意匠を凝らした調度品の数々や内装を拝見して、率直に思ったのは「当時はめっちゃ儲かったんだろうな~」ということ。凝った照明や屏風やその他いろいろ・・、全国に片手で数えるほどしかないうちの1つ、みたいなお宝がたくさん。美術館にいくならここにも来た方が良いかも。ガイドさんから伺った往時のお客さんたちのお金の使いっぷりも昭和の終わりのバブルみたいな印象。そういう豊かな時代があったからこうしたものが残っているのでしょうね。
二間続きのお座敷、満月を模した内装。ここで芸妓さんが三味線、太鼓、舞、唄を披露し、お隣の座敷にお客さんが座る。客側の座敷には三日月の窓。
シャンデリア調の電灯。一見、真鍮製のものかと思ったらなんと木製なのだとか。木製、と見抜ける人は100人に1人くらいしかいませんとのことでした。
こういう装飾も全て当時の職人さんのわざ。入れ替えて模様が変わる仕組み。全てお任せで作るため職人自身のセンスも問われたそう。いまの時代はこういう技術を持った人がなかなかいないとか。
お座敷横の小さな部屋。宴会の後で客と娼妓が寝る部屋。遊郭でも部屋の広さは四畳半と決まっているので、「四畳半」というのは、こういう部屋を暗に意味するものなのだとか。
財界人とか政治家とか偉い人は別の奥まったところにある部屋に案内してもらったらしい。まあ、女性の自分からするとこういうのを目にするも話を聞くのも良い気分ではない。でもちゃんと知っておきたい。
廊下は松の木。松の廊下なんて江戸城みたいですね。
廊下の天井は数寄屋造り。
別棟の大座敷への廊下。ここも松の廊下。廊下に映るガラス窓の影で、このガラスも現在はない手作りの貴重なガラスだと気づきました。
天井。
中庭の一部。小さな社は金毘羅さんを祀っています。金毘羅さんは古来から海の神様です。手前にあるドウダンツツジもこれだけの大きなものは大変高価なものなんだそうです。
お座敷に入って。これも職人わざ。一枚の木を細工して作ったもので、アコーディオンみたいに伸ばしたものらしいです。
これも接着剤を使わず作ったものだとか。美しいですね。富が時代の文化を作るものだということを改めて思いました。
斜め方向からみた時に、こちらでは一本の太線に見える模様が、
正面からみると三本の繊細な線。障子越しの仄かな陰翳は谷崎潤一郎の小説ぽくて美しい。
お座敷中央に置いてある大きなテーブルは栃の木製。大変重くて男性が数人がかりでも持ち上げられないほどなのだとか。滋賀県北部の朽木で伐採した栃の木を使っているそうです。
一通り見学して玄関に戻りました。ここの街は岐阜や奈良と同じく庚申信仰が根付いていて、厄除けの身代わり猿がどこのお宅の玄関にもぶら下げられています。その向こうに秋の空・・というにはまだ早いかな。まだまだ暑い8月の半ばですが、やはり立秋を過ぎると空の雲や空気感がちょっと変わります。
詳しい説明も聞きながらこれだけ立派なものを無料で見せていただけるのはありがたいことでした。案内いただいた方から、資料50枚のうちの5枚分くらいしか説明できなかったので、またいらっしゃいと言っていただきました。ぜひ残りの話も伺いに再訪したいと思います。