館内常設展は撮影可の展示のみ撮影。若狭地方の祭りと芸能関連の展示。田植えの祭りや精霊船送りなどそれぞれの地区で異なる伝統が受け継がれていることに驚きます。直近のお祭りの映像とか20年くらい前のものでしたが今でもやっているのかな。獅子舞とか夏の祭りとか私が生まれ育った土地にもあったけれど、子供の頃から見慣れてきたものとは随分違う。こんなお供えとか。

 

 

こんなのとか。

 

風土史に詳しかったら、もっと面白みを感じるのかもしれませんが、私はよく知らないので残念。

 

 

これなんか解説を読むと秋田のなまはげみたい。

 

 

怖い顔をしているのは邪気を払うため。

 

 

 

お隣の歴史コーナー。縄文土器の展示が結構充実。

 

 

若狭地方には縄文時代から人が住んでいました。ということは食べ物が相当に豊かだったのでしょう。土器の紋様とか芸術性があって美しいと思います。こんなのを作る心の余裕が縄文人にはあったということでしょうか。下は縄文時代の調理器具。こういうの見るのが結構好き。

 

 

国家ができてからはこの地域は京都と近いことから文化的にも影響を受けてきました。戦国時代は若狭武田氏、京極氏がそのあと少しの期間ここの藩主をやったあと、江戸時代を通してずっと酒井家がお殿様。酒井家が文化を庇護してきたので若狭地方の神社には能舞台や舞殿のあるところがとても多いです。

 

 

北前船の寄港地だった小浜。昔は栄えた。

 

 

写真を撮れなかったけれど仏像の展示コーナーも見ごたえありました。

 

今回気になったのが一階ロビーに展示されていた腕用ポンプ。昭和2年制作の消火ポンプなのだそう。

 

 

今でいう消防車ですね。使用するときは台車からポンプを下ろし、付属する給水用、放水用ホースをそれぞれ接続し、木製持ち手を上下に押すことで放水する仕組み。

 

 

機能面では現代のものと比べ物にならないけれど、戦前、特に大正期のモノってデザインの美しさが印象的。とてもレベルが高かった感じがします。それを思うと戦後復興期にできた箱ものの無味乾燥さ・・。最近変わってきましたが。

 

 

あちこちの角度から写真を撮ってしまいました。

 

 

 

 

博物館を出て、隣接する公園を少しだけ歩きました。

 

 

地図をみると梅林もあるようです。園内は最低限のメンテをされている程度。これほど誰もいないと歩くのが怖かったりする。太陽の日差しが強すぎると陰も濃くなるせいか、こんな場所では孤独をより強く感じそうな気がしました。考えすぎですかね。うーん

 

 

 

 

「ほたるの里」と書いた看板も見つけました。ここにきたら蛍を見ることができるのですね~。来年は来てみよう~。

 

 

夏は太陽の光が強いので目に映るものがとても鮮やか。暑さにめげずにたまには外出してみようかと思います。