最近読んだ本。読書メモとして。
日本人はプライベートを犠牲にしてめっちゃ働いているのに生産性は世界第27位。 日本の潜在能力は結構高いのにそれを活かせてない。原因を特定し対策を実行すれば平均年収は2倍(GDP1.5倍)が可能になる。
失われた20年:日本以外の国は経済成長を続けている一方、日本だけが止まっている。(GDPが増加してない)これは異常事態。このままでは2050年にはトップ10から脱落。→ その国の経済に対する国際的評価は世界に対するその国の影響力・発言力に密接に関係する。経済が縮小した国の発言を周辺国は重視しない。
高度経済成長率の後押しになったのは人口激増だった。人口ボーナスの下で生産性向上が軽視されてきた。人口増のエンジンが止まった日本では生産性は韓国にも抜かれた。
日本のものづくり:総額でみれば日本はものづくり大国。しかし、一人当たりの製造業総生産額は先進国でも平均以下という現実。これまでは人口ボーナスがそれをカバーしてきた。特に農業のひとりあたり総生産が異常な低さ。→改革を嫌う勢力の抵抗も一要因。
日本の生産性:日本は教育制度も確立しており、社会も安定していて、本来なら高い潜在力があるはず。できるにもかかわらずやるべきことを十分にやってない。
女性の活用:日本社会の中で女性に任されている仕事には付加価値が低いものが多い。→ 女性労働者は全体の43%。多くが非正規。もっと意識改革が必要。移民受け入れよりも女性の活用に尽力すべき。
ITの活用。日本の生産性低下は労働者だけの問題ではなく、経営側の問題も。(内部留保のためこみすぎ?)
日本人は自信を失っている?→原因はもっと深いところに。
人口増加が止まったときに生産性を徹底的に改善する必要がああった。バブル崩壊以降、経済成長は「失われた」のではなく「国をあげて生産性改善に踏み切る気概」を失っていた。日本がそれまで何によって成長してきたのかという主要因の分析もしてこなかった。
日本人にみられる高度成長の後遺症。日本人は用心深くて慎重だという割に計画性があまりない。高度成長期は変化が激しく長期的計画が立てにくかった。計画はつぎはぎ的。その名残が今も。検証しない文化、マニュアル化、融通がきかない、縦割り行政、責任をあいまいにする文化なども人口激増時代の副産物。人口増加の追い風の中では多少の瑕疵は大目にみられる。
一方何に対しても反対することで「社会が変わらない」という危険を意識していないのも日本の文化の特徴。→ 根っこにあるのは日本の閉鎖性。
ペーパーレスが進んでない。IT活用の失敗。
日本のひとりあたり輸出額は世界で44位。2015年は金額にして4914ドル。韓国の半分、ドイツの3分の1。今の3倍に増やせる。
農産物輸出:オランダは九州と同じ面積で人口も1700万人しかいないのに農産物の輸出額は米国に次ぐ世界第2位(切り花、タバコ、調製食品等)。環境に恵まれている日本なら8倍程度に増やせる。
同じ議論について観光業が証明済み。2014年の日本の対GDP外国人観光客収入は129か国中126位だったが、政府や自治体、観光業者の意識が変わったこととで変わった。
経営者の意識を変える。内部留保を活用しない企業に対し時価総額をあげるプレッシャーが大事。人員整理よりいまの体制でより多くの仕事をする。
人口減少時代は需要が減りやすくデフレになりやすい。生産性をあげて給料を上げるべき。ワーキングプアの問題も解決?需要の減少に歯止めがかからないとよりデフレのリスク。
しばらく前に同じ著者の「新・観光立国論」を読みました。もともと金融機関のアナリストをされていた方なのでデータに基づく客観的な分析が大変わかりやすい内容でした。インバウンドの観光客がまだ少なかった頃に「日本の潜在力と世界的な観光隆盛を考えると日本のインバウンドは2030年に8000万人くらいになっても良いくらい」って書いてあって、当時の現実との乖離に「えー?」と意外な思いでした。その後、政府の政策(アベノミクスによる金融緩和→円安)ともあいまって日本への観光客は2013年に1000万人を突破したのち、2015年には2倍の2000万人弱へ。2017年は2800万人、2019年は3000万人超に。コロナ禍がなかったらオリンピックも無事行われてて今頃5000万人くらいに増えていたかもしれない。
この本も外国人ならではと思うの視点が大変興味深いです。日本には大変なお宝があるのに、日本人はそれに気が付いてなくて、全く活かされていなくて、そのためにみんなのお給料が上がらなくて、世界の国々と比べても相対的に貧しくなっている。古いものを守るのも大事だけれど同時に新しいことに抵抗するばかりでなく取り入れる勇気も必要であると改めて思いました。
そういえば大河ドラマの「青天を衝け」、先週は幕府の役人一行がパリ万博に行く回でしたが、新奇なものに出会ったときに心がときめくか、心を閉ざして頑なにこれまでのやり方に固執するかそれぞれの反応が印象的でした。今後日本を大きく変えるには、若き日の渋沢栄一氏が受けたのと同じくらいのマグニチュードのカルチャーショックが日本人全体に必要なのかもしれません。