常神からの帰りの道で目にした風景です。逆光で暗く映っていますが午後4時台です。
学生時代にネパールをバッグひとつで貧乏旅行したことがありました。この頃から未知の地が大好きでした。(笑) ある日、カトマンズの山間の集落に入っていったことがありました。当時も今も行動は変わりませんね。
ふと頭上を見たとき、たちこめていた雲が晴れて、視界に突然、空高く聳えるヒマラヤの威容が飛び込んできました。上から覆い被さってくるかのような、迫ってくるような山の存在。その姿は埃っぽい地上の人間界とは全く違って、人間ごときが全く近寄れない、というか完全に「立ち入り不可」と拒絶されているような凄みというか。人間世界を超越した神々しさと厳しさに満ち満ちてるみたいでした。
天上からその山に見下ろされている時に覚えたのは恐怖感でした。いすくまれた、とでもいう感覚に近いかな。これが畏怖という感覚なのか。自然への畏れ・・原始の宗教感情ってこんなのだったんだろうなあと、カトマンズに神様がたくさん祀られている理由を感覚的に理解できたのもその瞬間でした。
その後もいろんなところを旅して、ときにその地に神様の存在を感じるような体験をしたことがありました。人が神様を感じるのはどんな時なのか・・・。それは人間の力が及ばないような天地の働きに接した時ではないかと。もう人間の力ではどうしようもないような存在を感じた時、人はそこに畏怖という想いを抱き、自分の存在の小ささを再確認することで謙虚さを思い出すような体験というか。
長々書いてしまいすみません。常神の海をみてたらそんなことを思い出して。💦
常神半島には常神、神子、御神島など地名に「神」のつく場所が連続してあります。手前の集落は「遊子(ゆうし)」という地名です。「家を離れて他郷にいる人」、「旅人」の意味だそうです。どこか現実離れした地名の連続。
遠い昔からこの地には午後になると海が銀色に輝く時間があり、そういういうところがまさに神を感じるような場であったのではないかしらと。代々そこに住んできた人の想いと経験がこの地名のもとになったのかなあと。今回、常神までドライブして、帰路についた午後4時くらい。神々しいくらいの午後の日差しを目のあたりにして久しぶりにそんなことを思いました。