世の中には仲良しの両親に子供が二人、三人・・みたいな「家族」のイメージという呪縛があるような気がします。家族のかたち、幸せのかたちにはいろいろな形態がある、あってよいという。脳科学的にもそれは「あり」なのだそうです。共感する部分多い内容でした。

 

興味深かったのはアホウドリは3分の1はメス同士で子育てをするという種だというところ。動物の世界では生殖以外にそこにオスがいる必要がないということ。婚外子が多数を占め、婚姻関係にこだわらないフランスにおいては出生率が高まっているという現状。現在、所与とされている家族の形態は明治になってからのものであり、そのかたちそのものが今の時代に合わなくなってきていることなのかと思いました。

 

あと、「脳は30歳くらいまで未完成なのでそれまで的確な判断ができないし、人に共感もしにくい」というくだりは自分自身を振り返ってもなるほど、と思うこと多かったです。

 

 

 

著者による自分への生前弔辞。読んでみたら弔辞なのかどうか・・?って感じでした。私はテレビで見るたけしさんの忖度しない物言いが好き。ですが、最近はスポンサーへの配慮からカットされる部分がとても多いのだそうです。

 

たけしさんの芸論、人生論、世界観には理想論だけでなくて醜い現実も見極めていて、そこに人間のおかしみみたいなのを感じておられるような、そんな印象を受けました。どんなに理想的なことを頭で考えても現実はきれいごとだけでは片付かず、そのギャップを知性で乗り越えても結局は人間の生理には勝てない。「人間は欠陥品だ。だから笑うんだ。」という考察は人間をよく観察してこその言葉だなあと思いました。

 

ほかにもお笑いをはじめとする世の中の変化に対する洞察が興味深かったです。法隆寺や正宗、ゴッホやピカソなどの芸術には普遍性がある一方で、エンターテイメントには「寿命がある」ということ。古今亭志ん朝や石原裕次郎、長嶋茂雄・・彼らが生きた時代に生きてないとその本当の面白さはわからないと。「娯楽」と「芸術」の線引きってこういうところなのかなと思いました。

 

もうひとつ印象的だったのは私自身も子供の頃に親しんだ「ひょうきん族」と「全員集合」の番組について触れられた箇所。ドリフは計算されつくした予定調和型のお笑いだったのに対して、「ひょうきん族」はなんでもありのお笑いであり、同時間帯の「全員集合」をつぶすために存在した番組だったと。なので、「全員集合」が1985年に終わったら、ひょうきん族もまもなく自滅してしまったという。同じ時代にお笑いの世界を生きた志村けんさんに対するたけしさんの特別な想いも感じました。

 

以上、読書メモ。