長浜市にある大通寺、大広間です。本堂と共に伏見城の遺構。伏見城は秀吉が最晩年に暮らしたお城で、キラキラが大好きだった秀吉の時代の栄華を語るようなイメージがあります。伏見城の遺構は各地の寺院に見られますが、こんな大規模なものは初めて見たかもしれません。極彩色の空間はわびさびの正反対にあるようなまばゆいほどの世界観。

 

 

 

 

 

大広間からつながる新御座。天明7年(1787年)に彦根藩の井伊家から住職が入寺。その時に井伊家から寄進されたのが最初。現在の建物は大正時代の再建。金地と青色のコントラストが鮮やかで往時の華やかさを思いました。狩野派の絵だそうです。
 

 

 

 

御座の反対側においてあった駕籠。宝暦年間に彦根藩主の息女が輿入れの時に使ったというもの。いまの時代でいう運転手と護衛付きの超高級車?キョロキョロはてなマーク

 

 

金地に墨で描かれた襖絵。江戸時代後期に京都画壇で活躍した岸駒の作品。

 

 

 

 

 

移動します。奥にあるお茶室へ。

 

 

お茶室は含山軒という名で住職の居間。江戸時代初期の建築。中には入れないのと、照明がなく薄暗かったため細かい部分は観察できませんでした。パンフレットによると襖や床の間の山水画は狩野山雪の作品。

 

 

茶の湯に使う大きな釜が置いてありました。

 

ここのお茶室、「含山軒」の名の通り、障子を開けた先に伊吹山を借景としたお庭がみえます。

 

 

 

こちらは含山軒となりの蘭亭からみえる別のお庭。

 

杉戸絵などが見事でした。

 

 

 

この障子の向こうから感じる光の具合が好きです。

 

 

 

こちらにも部屋がいくつかあり、立派な襖絵などをみることができました。馬酔木の鉢がここにも。これらの部屋の中には撮影禁止とされている場所もあったので写真はありません。

 

 

蓮如が乗ったという駕籠だったか。

 

 

この鐘の前の説明書きに小浜のお寺のことが書いてあったので記憶に残ってます。南北朝時代につくられた鐘。もともと若狭国多田寺のものだったとか。

 

 

ぐるりと一周して本堂に戻りました。大変立派なお寺でした。

 

 

ブログでは盆梅展のことを先に紹介しましたが、この後でお寺の前の表参道を通り、歩いて盆梅展を観に行きました。長浜の一日、あと何回か続きます。