京都にも三千院門跡、青蓮院門跡などがあり、「門跡」ってその昔にお寺や神社などがあった「跡」なのかなと思っていました。いろいろ訪れるうちに知ったのですが、皇族や公家が住職であったお寺のことをそう呼びます。滋賀院門跡も天台座主(天台宗のトップ)の住居として皇族・公家のひとたちに受け継がれてきた歴史があります。

 

江戸時代の初め頃に、天海大僧正が天皇から法勝寺を賜り移築され、のちに滋賀院の号を賜ったのがその始まりとのこと。数日前に最終回が放送された「麒麟がくる」の主人公、明智光秀が天海だったのでは?という説があります。実は光秀は山崎の戦いで死んでなくて、天海という名の僧侶として初期の江戸幕府において、参謀的な役割を果たしていたという。本能寺の変については何十もの説があるし、その後の光秀についても色々言われていたりして、ドラマではどんな大団円になるのかなと気になっていました。一年間続いたドラマのヒーローがあっけなく山崎で死んでしまっては視聴者もがっかりするので、いわゆる「天海」説をとったのかなと思いました。

 

 

ここに行く前に簡単な下調べをしたら、写真撮影が一切できないという記事がいくつか出てきました。それは残念~と思いつつ、念のため受付で確認してみたら、仏様以外はいいですよ、といってもらいました。ニコニコ しかし、内部の柱にはあちこちに「撮影禁止」の文言が書いてあり、それがない部分のみの撮影としました。

 

これは入ってすぐのところにあった不滅の法灯。延暦寺の根本中堂に1200年以上も灯し続けられている法灯のひとつをもってきたもの。

 

 

 

 

油量に気を配ってないと消えてしまう。「油断大敵」ということわざは、ここから来ているとも。1200年を消してしまっては大変!

 

 

ここにもドラマ関連の展示。

 

 

羅漢の間。大額の文字は法華経の法語なのだとか。

 

衝立の絵は桃山時代・狩野派のもの。

 

やはり皇室ゆかりということもあり、建物の内部も線が細くて柔らかくて、優雅な雰囲気を感じます。

 

 

 

 

お庭は小堀遠州作。ここに「鶴」と「亀」がいるのだそう。帰る時に管理人の方から種明かしを教えてもらいました。最初みた時は、想像力の乏しさゆえ、全くわかりませんでした。💦

 

 

 

 

 

下の天海の遺訓は徳川三代将軍家光に向けてのものだそうです。

 

 

以前、戦国武将の小説をたくさん読んでいたのですが、多くの武将が幼い頃から高位の僧侶が身近にいて彼らから教えを受けています。僧侶は武将らの幼少期は教育係として、長じては参謀として、その思想や政策の面で影響を与えました。織田信長だと平手正秀、今川義元なら太原雪斎、伊達政宗も武田信玄も家康も名前忘れましたが密な僧侶が身近にいました。徳川三代将軍・家光には天海。その人物がもしかしたら光秀だったら?天下泰平の基礎がしっかりできたのが家光の頃。ここへきて、ようやく光秀が初期の頃に言ってた理想がかなえられたことになりますね。天海=光秀説、あまり信じてなかったけど、そうだったら良かったかも、と書きながら思ってしまいました。