五個荘・近江商人屋敷4軒目。ここだけは他の商人屋敷から少し離れていたので車で移動。横に広い駐車場がありました。

 

 

 

ここは「お屋敷感」がすごく強いというか、なんか気軽に踏み込めない重圧感がありました。💦 実際、生活のための住居というより、皇族・貴賓客をもてなすための迎賓館だったのだとか。

 

 

赤い屋根の建物。あとで案内いただいた時に教えてもらいましたが、藤井彦四郎が後年、スイスを訪れた時にみたシャレーに魅せられ、当地にも建てたものだそうです。横に和風のお茶室も連なっているのかと思っていたら、あとで気が付いたのですが、ここ、トイレでした。💦

 

 

天秤棒に荷をくくり、諸国を行商して歩いた近江商人の姿です。近江商人の原型ですね。

 

 

 

中に入りました。この時も訪問者は私ひとりだけ。まず館員の方に説明してもらいながらお屋敷をぐるっと案内いただき、その後は「貸し切り状態ですから好きなだけ観ていってくださいね」と言っていただきました。

 

 

奥の座敷です。

 

この部屋で2015年公開の「日本のいちばん長い日」が撮影されたそうです。そのシーンのスチール写真が飾ってありました。見比べてみると掛けてある額縁が一緒!

 

 

役所広司さんが演じる阿南陸軍大臣の三鷹にあった家という設定です。戦争の末期(数日前)、それでも一億玉砕論を主張し、クーデターを企む若手の将校たちと対面する場面だったと思います。当時、私はこの映画を劇場でみたのですが、戦争は始めること以上に終わらせることが遥かに難しいのだ、ということを強く感じました。廊下には役所さんのサイン色紙も飾ってありました。

 

 

玄関を入ってすぐのところにあるお座敷の四方に歴代総理大臣による書が掲げられていました。これは鈴木貫太郎首相のものです。

 

 

鈴木貫太郎は太平洋戦争末期、日本の勝ち目が全くない状況になった時、戦争を終わらせるためだけに組閣された内閣で総理大臣になった人です。軍や国民の混乱を最低限に抑えようとしました。「日本のいちばん・・」の映画では松阪桃李さんらが演じていた当時の一部青年将校らはそれをよしとせず、徹底抗戦を主張しました。そんな彼らを無理やり抑えこんで終戦に導いた内閣だけあって、戦争が終わっても血気さかんな若手の元将校らからすると、憎むべき人物だったようです。

 

戦後にここを訪れたある元将校が、この額を見た時、怒りにまかせて、刀でずばっとこの額縁を切ったそうです。

 

 

貫太郎の名前の部分に斜めにすぱっと入った刀跡がそれだとのこと。戦後にいろんな価値観が急変しましたが、そんな世の中についていけない人もいっぱいいたのだと思います。終戦から数年はまだ人々の心の中も外の世界と同じくらい混乱していたのだろうことが、こんなところからも想像されます。

 

こちらは平沼騏一郎の書。近衛内閣のあとの戦時内閣を組閣した人。

 

浜口雄幸の書。戦前に立憲民政党総裁。のちに右翼青年の狙撃され亡くなりました。

 

田中義一の書。戦前の総理。奉天での張作霖爆殺事件勃発で責任を問われて総辞職。

 

それぞれのエピソードをこうやって連ねると昭和初期の頃って既にかなりきな臭い(¯―¯٥)

 

そのお隣の部屋。

 

ここは先ほどの映画撮影の部屋。

 

 

皇族がこの家を休憩所に使ったことがあり、その時のためにしつらえたのだとか。身分が高い人の部屋は折り上げ天井になっていて、一段高くなっています。

 

 

これが近江商人屋敷の典型的な欄間。

 

近江商人は彫刻を施した欄間とかにはお金をかけない。その代わりにお金をかけたのがこれだと教えてもらったのが足元の畳。畳の原料、い草のほんの先の部分だけを厳選して編んであるそうです。こうすることで畳は長持ちし、実際に100年以上、畳の張替えをせずに済んでいるのだとか。

 

 

折り上げ天井のある部屋の障子はシルクでした。

 

手前の立派な庭園におりてみました。池は琵琶湖のかたち。周囲には名木や立派な石が配されています。ここも結婚式の前撮りで使ったりされるそう。想像しても本当に素敵!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、洋風の応接室に通していただきました。こちらもテレビで豪邸シーンに使われていたところです!素敵でした。続きます。