ウィリアム・メレル・ヴォーリズは英語教師として来日。熱心なキリスト教の伝道者であり、メンソレータムの近江兄弟社の設立者、建築家としても活躍しました。近江八幡市では名誉市民第一号です。ヴォーリズの名を冠した学校や病院などもあり、この街に偉大な功績を残した方だったのだろうということを近江八幡での短い滞在中に感じました。ヴォーリズは民間住宅も手掛けており、市内には氏の設計による建築が多く残っています。今回の旅ではそのいくつか、有名なものを訪れました。

 

 

ヴォーリズ記念館(一柳記念館)。昭和6年の建築でヴォーリズが満喜子夫人と後半生を過ごした住居。内部を見学した方のブログを拝見すると、広い居間、和室、応接室などがあるとのこと。見学には事前の予約が必要だそうです。

 

 

当初から予約をしていませんでしたが、この日はクリスマス・イブ。休館だったようです。

 

 

私が通っていた大学の一部にもヴォーリズ設計による建物があり、当時から名前だけは知っていたものの、その頃は全く興味がなくて・・。💦 無関心であることって後で気づくと残念なこと。

 

今年は滋賀県高島市でもヴォーリズ建築を何軒かみて周り、こんな建築があったのかと感銘を受けました。全てに共通して感じるのはシンプルでありながらもどこか温かい雰囲気があるところでした。

 

 

 

近江八幡市立資料館です。

 

 

元八幡警察署として使われていた建物です。ヴォーリズ建築事務所による設計だそうですが、館員の方の説明によると、ここが建った当時はヴォーリズさんご自身はもうお年だったそうで、直接的に建築に関わっていなかったとのこと。

 

館内で撮影した写真はSNSなどにアップするのはダメとのことでしたので写真掲載は控えます。翌日訪れた五箇荘ではそうでもなかったのですが他の近江八幡市内の建造物についても同様のことをいわれました。館内の印象はこれまた簡素な感じ。どちらかというとお役所というよりは学校の内部のような雰囲気がありました。考古学、民俗学関連や文書などが展示されていました。

 

 

以降の写真は滞在3日目。ゆかりんちゃんと合流し、一緒に街歩き中に撮影したものです。

 

 

伝統的家屋が連なる中に紛れ込むようにあった洋風の建築物。無数の電線がこれまた邪魔ですが、教会。オリジナルは1924年(大正13年)に建てられたのですが、火事で焼失しており、この教会は1983年(昭和58年)にヴォーリズ建築事務所により建てられたものだそうです。

 

 

クリーム色の壁にオレンジ色の瓦、西宮の関西学院にそっくり。

 

 

中へ入ってみました。まあるい照明は他のところでも目にした記憶があります。

 

 

 

 

昔、ヨーロッパを訪れて同様にひとりで街歩きしていた時、疲れた足を休めるため、教会の中に入って椅子に座っていたことがありました。ぼーっとステンドグラスなどを眺めていた時に感じたのは、何か大きな存在に守られているかのような安心感でした。静かな堂内はまるで母の胎内にいるかのよう。その時、教会の役割のひとつは、訪れる人への癒しなのだろうと思いました。こういう感覚は本とか映像では伝わらないし、わからない。でも現地に足を運んでみると、理屈ぬきに肌で感じられるものかと思います。この教会の内部も温かい、優しい雰囲気がありました。

 


 

 

 

 

教会の前にある、かなり「和」寄りの和洋折衷建造物は昭和15年の建築。

 

 

近江兄弟社の独身青年社員宿舎として建てられ、「地塩寮」と名付けられました。聖書の言葉からの引用です。

 

 

教会の横に建つのはアンドリュース記念館。

 

 

1907年(明治40年)に建てられたヴォーリズ最初の建物。1935年(昭和10年)に建て替えられています。旧YMCA会館。建物の名前はヴォーリズの大学時代の親友、アンドリューズ氏を記念してつけたものだそう。

 

 

ここ、現在、ナッツ屋さんとして営業されているようでした。店内ではナッツのスムージーを販売されているとのこと。寒い時期にスムージー飲むのもなあ・・などと言ってそのまま通り過ぎてしまいました。が、内部の見学もできそうだったので、今思うと中を見せてもらうだけでもしてくればよかったです。

 

 

 

アンドリュース記念館と教会は隣り合って建ってます。

 

 

敷地のすぐ横の光景。ヴォーリズ建築とは関係ないですが、この屋根が重なる光景がなんか面白いと思いました。

 

 

 

ヴォーリズ建築巡り、もう少し続きます。