11月24日。例年なら関西では紅葉のピークがこのあたりなのですが、今年は一週間くらい早かったようです。今季のハイライトにとってあった日吉大社でしたが、それまでに見た金剛院や成相寺の紅葉が素晴らしいタイミングだっただけに、ちょっと外したかなという印象。でも初めて訪れたこの神社、歴史ある建造物が素晴らしく、大変見ごたえのある散策ができました。

 

場所はココです。京都の北東、いわゆる鬼門にあります。

 

鬼門というのは陰陽道の考え方で鬼が出入りする方角です。なので延暦寺や日吉大社は鬼門封じとして配置されていました。古くから鬼門除け・災難除けの社でありました。鬼門の反対側(西南)は裏鬼門とし、こちらの封じには石清水八幡宮があります。ざっと歴史をみると、平安期に延暦寺と一体化していってます。昔の寺院(特に大津の三井寺と延暦寺、あと奈良の興福寺とか)は僧兵を抱え、経済力もあって、何かあると神輿を担いで強訴とかしてくるとても怖いヤクザみたいな存在。平家物語に出てくるのですが、時の白河上皇がどうやっても意のままにならないのが「鴨川の水とサイコロの目と比叡山の僧兵」と嘆いてます。それだけ京の政治にとっては脅威であり、ものすごく厄介な存在だったようです。

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

さて。車を停めたのが西本宮の近くだったのでそのまま楼門方向へ歩きました。

 

 

周辺の紅葉。明るく陽が差していてとてもきれいでした。私はやはり複数のカラーが混じった紅葉が好き。

 

有名な山王鳥居。鳥居を挟んだ前後がもみじのアーチになっていて、ここ一番の見どころです。

 

 

 

近くにいたガイドさんの説明を聞いていたら鳥居の上に三角形が乗っている形は「山王鳥居」といわれるものだとのこと。神仏習合時代の特徴だそうです。

 

 

 

鳥居をくぐってすぐのところに猿がいました。お猿さんは神様のお使いで「神猿(まさる)」と呼ばれ、「魔が去る、何よりも勝る」として縁起の良いものとされてきました。

 

 

 

西本宮楼門です。

 

写真に撮るのを忘れていたのですが軒下の四隅には木彫りのお猿さんが置かれていて楼門を守っています。「棟持ち猿」です。

 

本殿です。

 

現在の社殿は1586年(天正14年)の再建。エレガントな平安ぽい造りは「日吉造り」というのだそうです。天正という年号をみると織田信長を連想します。これ以前の社殿は織田信長に燃やされてしまったのですね。😢

 

ご神木の桂。

 

西本宮境内には本殿横に宇佐宮、白山宮などよく似た形状の社殿が並んでいました。

 

 

 

 

鳥居のところに戻って今度は大宮橋へ。神職の方の後ろ姿が。

 

 

西本宮を昔、大宮と呼んでいたので、大宮に通じる橋という意で大宮橋だとか。この橋のすぐ横にもう一つ橋がかかっていて走井橋。更にもうひとつ二宮橋というのがあって3つまとめて日吉三橋といわれているそうです。当初木造だったのを寛政年間に石造に架け替えたものだそうです。下の写真が大宮橋からみた走井橋。ここ、お祓いをするための場所なんだそうです。上の写真の神職さんは、この橋を渡って下流の走井橋のところに行かれ、そこにいらした方々と談笑されてたので、その後、お祓いをされたのかもしれません。祓った厄はこの川に流してしまうのでしょう。

 

走井橋のところにある湾曲した巨大な松の木。

 

 

これ、写真ではたいしたことないように見えるのですがかなり巨大でした。松の側から大宮橋をみてみます。

 

 

川の対岸。立派な石垣は全盛期の軍事力を思わせます。

 

 

橋を渡ってここから徒歩10分のところにある関西の日光と呼ばれる日吉東照宮を観に行こうとしました。しかし、ここは公開が土日だけなのだそうで、観ることができませんでした。そういうわけで境内の約半分を周ったので、あと半分の東本宮にいこうかと思ったのですが、ちょっと時間が足りず、次の場所へ行くことに。この日はあと旧竹林院、園城寺三井寺と3か所周る予定だったのです。晩秋ともなると4時頃になるともう日が傾いてくるので気候はよくても時間が足りません。次は日吉大社の横にある旧竹林寺へいきました。続きます。