小さい頃から身近なGUNZE商品。漢字表記はこれだったということを初めて知りました!現在の綾部市が昔は「何鹿郡」であったこと、「是」は方針。つまり「何鹿郡が進むべき道」という意で、地場産業である養蚕業で地域をあげて振興していこうと会社が設立されたのが始まりだそうです。

 

 

立派な蔵の形をした資料館があり、観覧無料でした。内部は3つに分かれていて創業蔵、現代蔵、未来蔵と名前が付けられています。一度に入れる人数は10~15人までと書いてありましたが、ココも人が少なく、私のほかに3人くらいしか人を見ませんでした。

 

 

創業蔵では製糸業から始まったグンゼの歴史、創業者波多野鶴吉の紹介など。貧しい養蚕農家が多かったこの土地で波多野は人々の暮らしをなんとかしなければいけないという思いで会社を大きくしました。時代の追い風もありましたが、この方もかかげていたのが「共存共栄」という会社の信念。この時代の創業者は会社を社会の公器と考え、使命感をもって会社を経営していた人が多かったと思います。グンゼも社員が一生幸福であるようにと社員教育もかなりしっかりしていたよう。「表からみれば工場、裏からみれば学校」といわれていたほど、女工さんたちは職場で読書、算術、裁縫なども教えてもらうので、貯金しながら教養が身に付き、花嫁修業になったそうです。こうした考え方は日本企業のすばらしいところだと思っているのですが、「会社は株主のもの」という概念が入ってきてから日本の企業も随分変わってしまったように思います。

 

現代蔵、未来蔵ではグンゼの製糸業の次のグンゼの事業、今後の展望などが展示されていました。グンゼ・ブランドといえば肌着やストッキング・・程度の認識しかなかったのですが・・・、もう40年近く前からプラスチック事業、30年前から医療関連など非繊維事業にも事業を拡大していたそうです。プラスチック事業ではシュリンクフィルムといって熱で包む包装資材。化粧品やら調味料やペットボトルや・・身近にいっぱいありますが、グンゼでこういうことやってたんだと。医療では製糸業のノウハウを活かして生体吸収性のある縫合糸など。糸を作る技術を極めてそれを他の事業にいかして、電子部品、繊維資材、緑化分野など数多くの事業に進出しているとのこと。生き残る企業はちゃんと時代にあわせて変化しているのですね。大変勉強になります!

 

 

敷地にはあやべ特産館というおみやげ屋さんもありました。

 

 

ここにあったぷーさんのアート??と思って近づいてみたら

 

綿棒でできていたという。

 

バラもきれいでしたし、なかなか興味深い社会見学もできた日でした。

 

https://www.gunze.co.jp/gunzehakubutu/