急に寒くなりました。昨日の気温は11月末並みだったようです。気候的には大変過ごしやすいのですが、この時期は着る服に迷うのも毎年のこと。昨日は出かける前の準備時、適当な服が見つからず、クローゼット内をあちこちかき回し、あれでもない、これでもない・・と。部屋の中が泥棒が入ったあとのような散乱状態に。
今庄宿散策記の続きです。かつての旅籠・大黒屋。江戸後期の建物です。現在は地場産の食品などを販売するお店になってました。
カフェとかだったら入って休憩したかったですが、平日だとあまり人が来ないからか、営業している飲食店も少ないですね。💦
さて、今回は駅からまっすぐ上がった道を左側に歩いていきます。先にあるいた右側は往時の華やかな建物が立ち並ぶ見どころ続きでしたが、こちらは一般の住宅が多い感じです。なんとなく土地の暮らしぶりが伺えます。気が付いたのは庇部分の造りがかなりがっちりしていたこと。この地域は冬に雪が多いので、雪の重みに耐えられるようにということでしょうか。
隣家との防火壁である「袖ウダツ」が現代のお宅にもそれぞれ施されていました。なんだか面白い。現代なら防火というよりも「覗かれないように」という役割のほうが大きそう?
ここも酒屋さん。
シックで素敵なお宅。
暗く写ってしまいましたが、登城口。
道沿いにあった看板によると、この先に燧ケ城(ひうちがじょう)という山城跡があるようです。古くは源平合戦の時代にまで遡る歴史があり、時代が下って、天正年間には一向一揆勢vs織田信長、その後は賤ヶ岳合戦時には柴田勝家がここを守っていたと。何度も歴史の舞台に登場していたのは、誰もが欲しい「交通の要衝」にあったお城だったからなのですね。
自宅に戻って、このお城跡のことを調べてみて知りましたが、今も石垣をはじめ、曲輪跡、堀切なんかもしっかり残っているそうです! また登山といっても20分程度らしく私でも登っていけたと思います。歴史好き、お城好きなので、こういう案内図をみているだけでも、多少、気持ちが疼きましたが、熊リスクにびびってしまい、看板だけ写真にとって通り過ぎました。天守台から今庄の街を眺め降ろして、当時の戦国人らの気分を僅かでも味わってみたかったです。ちょっと心残り。
再び歩く。
宿場の街道は真っすぐではなく、小さな屈曲がところどころにあります。これは道に立って前を見た時に遠くまで「見わたせないように」とのため。北國街道をもっと先にいった長浜の街並みを歩いていた時にも気が付きましたが、小さなかどっこがたくさんあるんです。敵から見えないように、また一気に攻め入ってこれないようにという防衛上の構造です。
こんな黒壁、倉敷だったか・・その裏通りぽいところを歩いていた時にも見た記憶があります。これ、木材の防腐や防火効果のため・・だったような。記憶が曖昧。
立派な酒屋さん。
近くには懐かしい看板。現役でおいてあるのは久しぶりに見たかもしれません。
江戸時代から続く甘露梅肉の老舗。明治まで旅籠であり、同じく福井の若狭梅を加工した梅肉を宿泊客に振る舞っていたのが始まりなんだそうです。一個、お土産に買って帰りました。甘露というだけあって酸っぱくない梅肉です。仄かに酸味があって甘みとよい感じのバランスで、サラダや納豆などに・・と教えてもらいました。自宅で玄米と一緒にいただきましたがとても美味しかったです。
このあたりでUターンして、今庄駅に戻りました。ちょっと歩き疲れたので駅内のおみやげ屋さんで、アイスクリームを買いました。酒屋さんが多い今庄の酒粕を使ったバニラアイスクリームです。ほわあんと酒粕の香りがしました。時刻は夕方4時頃。秋になって日が短くなりました。そろそろ帰ることにしました。
ここ数日、天気が良ければ近場ばかりですが出かけています。次回は滋賀県高島市のことを書きます。