海外で暮らしていた20代の頃、私より5歳年上のシングルマザーと一緒にシェア生活をしていた時期がありました。彼女は小学生の一人娘を育てながら、フルタイムで働きつつ・・という多忙な人でしたが、週に一度くらいの頻度でボランティアをしていました。週の真ん中あたり、6時頃に帰宅するとすぐに荷物を置いて出かけ、7時前には「終わった」といって帰ってきます。
彼女がしていたボランティアは近所でひとり暮らしをしている高齢者の買い物に同行する、というものでした。一緒に歩いて近くのスーパーに行き、買い物リストを見ながら一週間分の買い物をして家まで荷物を運ぶ、というもの。若い人なら何の障害もなくやっている普段の買い物も高齢になると、そうもいかなくなります。広い店内を大きなカートを代わりに押して歩いて、陳列棚の前では本人の手が届かない高い位置にある商品を取ったり、老眼でよくみえない賞味期限を確かめたり。お会計の後は買い物袋を代わりに持って歩き、自宅に戻ってからは買ってきたものを冷蔵庫やストッカーに整理してタスク完了となります。簡単なことだけれど、それが簡単にできない人もいる。忙しくて週に1時間くらいしか捻出できないけれど、その1時間にしてもらうお手伝いのおかげでものすごく助かる人もいて。彼女の側には、さあ、やるぞ!という仰々しいものは一切なくて、日常生活の余白の中でできることをさりげなくやっている感じでした。助けてもらうほうは嬉しいし、自分自身を必要とされていると感じることは、これもまた幸せなことであり、お互いとてもHappyであるということです。ああ、ボランティアってこういうものなんだな、と思ったことがありました。今でも印象深く記憶に残っていることです。
また当時親しくしていた人たちの中に、ご主人が企業の役員、奥様が大学教授というパワーカップルなご夫婦がいました。子供が二人いて、彼らも本当に多忙な生活を送っていましたが、月に2回ほど、金曜の夜から土日にかけて里親のボランティアをしていました。施設にいる小さい子供が週末だけ泊まりにくるのです。彼らが世話している子供はその両親が共に薬物中毒者であり、行政から強制的に引き離されていました。里親ボランティアをするようになったのは、その子供が「普通の家庭がどんなものかを知らずに成長するのを黙ってみて過ごすわけにはいかない」という理由からでした。その子はまだ幼稚園児くらい。愛らしくて、複雑な家庭事情のことは里親である友人から教えてもらうまで私には想像もつきませんでした。夫婦の実の子供たちは当時小学生と中学生でしたが、彼らもまた良きお兄ちゃんたちであり、一緒に遊んだり、世話をしていました。こんなかたちのボランティアもあるのだなと思ったことがありました。大げさなものではなくて、無理のない範囲でそれぞれがやれることをやって、互いに扶け合うという。
現地ではあえてみんな大げさにいわないけれど、生活の中で当たり前のように何かボランティア的なことをしている人がかなりいました。周りに触発されて私もたいしたことはできませんでしたが、やれることを始めたことがありました。誰かに何かをしてあげる、という上から目線的なものは一切なくて、不足する部分があったら互いに補いあいましょうという感じで、学ぶことも多くて、こういう文化はいいなあと思っていました。
日本に戻って働くようになってからその気持ちがだんだん萎んでしまいました。当初は周囲にそうした話に興味を示す人があまりいなかったこともありました。いつしか私自身も他人のことを考える余裕がなくなってしまい、一週間、目いっぱい働いて、疲れ果てた金曜日の夜は、もう早く寝たいか、「自分へのご褒美」という名目で豪華な食事にいったりエステにいったりするようになりました。財布に入って出ていく金銭の額だけをみると、当時より、その後のほうが増えているのですが、あの頃のほうが随分豊かに暮らしていたなぁ・・と懐かしく思うことがあります。過去の思い出話です。
余談:上記パワーカップルの優秀な遺伝子を受け継いだ息子さんのひとりは、法学部を卒業後、弁護士になりました。在学中から非常に成績優秀で、卒業後は大手法律事務所という選択肢もありながら、そちらの道は選ばなかったようです。どうしているのかな・・?とふと気になって先日、Googleで検索してみたら、世界有数の人権団体で活躍している彼の名前と写真が出てきました。近況を知って、彼のキャリア選択にはご両親の生き方や価値観が受け継がれているのだなあ・・と感慨深く思った次第です。