少し前にヨーロッパのある映画監督のインタビュー記事を読んでいたところ、日本の印象として、その監督は「日本は匿名で密告を推進する社会ではないか」と感じたと話していました。そのきっかけは、彼曰く、東京では警察官の姿が全くみえないのに、何かがあると誰かがすぐに警察を呼ぶことからだったそう。

 

数日前、友達と会った時、地元でコロナ感染した人のプライバシー情報がネット上で晒され、更に多くの人が寄ってたかってその感染者を叩きまくっていた・・・という現象に話題が及びました。友人から"日本はネットに書き込む時に「匿名」を使う人の割合が他国より抜きんでて多い"ということを教えてもらいました。いわれてみるとなるほどです。SNSにしてもビジネスでやっている人を除くと、書いている人は殆ど匿名です。その時、ふとその映画監督の言葉が思い出されました。警察官がその辺にいないという日常の断片から"日本が匿名でのチクり社会"だということを見抜いたその監督の鋭すぎる感性に改めて感心してしまったのです。

 

その繋がりで、10年以上前になりますが、当時訪れたウィーンのある美術館でのことを思い出していました。そこの美術館では20世紀のオーストリアの歴史を絵画とあわせて展示するという企画展が開催されていました。20世紀初頭に活躍したクリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなど一連の作品が展示されていました。いまでも覚えているけれど、当時新進気鋭の画家であった彼らの作品は、みていると一様に不安感を掻き立てられるのです。彼らの絵画と併せて展示されていたこの国の歩みは、ハプスブルグ王朝の崩壊→第一次世界大戦→ナチの台頭→連合軍による支配→独立回復→冷戦→ソ連の崩壊→自由化という流れでした。こんなに目まぐるしく世の中が変わってしまうと、人の心はどこかほっと落ち着く場所を失ってしまい、この先どうなるのだろうか?と、常に不安感に包まれていたのではないかと思わされました。

 

(写真はネットからお借りしました)

 

芸術とはその時代の反映だと思います。世間の99%がまだ顕著に意識してない時代の変化をこういう人たちは認識し、いち早く、「作品」という目に見えるものに表現したのではないかと思いました。それは絵を描く人であれば絵画でしたが、表現される媒体は、映画だったり、服装だったり、音楽だったりしたのかもしれません。今の時代ならもっとその表現媒体は多様ですね。

 

アーティストという人たちをみているとすごいなと思うのはこういうところ。私のような凡庸な人間はこうした人たちの「表現の場」になるべく接する機会を増やすことで、今後の世の中の方向を考える示唆を得たいなと思っています。