10日ほど前に福井新聞のネット記事で雪化粧の明通寺が紹介されていました。実際に自分の目でも見てみたいと思っていたところ、若狭地方では昨夜から再び雪が降りました。朝、カーテンの外を見たら一面の銀世界です。この時は雪もやんでいたので、午後になってからカメラを助手席に乗せ明通寺まで車を走らせました。
このようなお天気だったので今日の参拝者は私でまだ二人目だったそうです。本堂で住職さんのお話を聴かせてもらい、そのあと、外へ出たらまた雪が降り始めていました。古色を帯びた三重塔と本堂に降りしきる雪の情景はあまりにも美しくて暫く言葉を失いました。ただでさえ静かな境内はこの時、外の世界の音から全て遮断されてしまったような静寂の世界でした。
本堂です。お寺の創建は806年と1200年以上前に遡ります。現在のお堂は三重塔と共に1200年代(鎌倉期)のもの。その前後の時代と比べてもとても簡素で力強い造りに特徴があるのだとか。本堂で住職さんから伺ったお話で印象に残ったことを忘れないうちにメモしておきたいと思います。
*征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷征伐で亡くなった敵味方の霊を慰めるために建立。
*小浜市は地方の小さい街だが文化財の宝庫。指定文化財が250あり、そのうち60は国指定文化財。明通寺の本堂、三重塔は国宝。仏像の彫り方も他の地方とは違う独特の特徴がみられる。(この地にこうした仕事をする仏師がいたということ)
*木には「伐採に適した日」というのがあってそれは年に10日くらいしかない。その10日間以外の時期に伐採した木だとこんなに長持ちしない。当時は「木を切る時期」までも見極めできるプロがいた。
*東京スカイツリーの耐震設計は法隆寺の心柱の構造を参考にしている。当時の建築技術は1300年経った今の時代にも生きている。
*若狭地方は海流の影響もあって大陸文化の受け入れの地であった。ここを玄関として奈良、京都への道が開けていた。海流の働きは現在のハイテク船舶よりも優れていて、大正時代くらいまでは沖縄の漁師が潮の流れにのって若狭まで漁にきていた。
*お寺の多くはかつては秘仏。33年とか60年に一回しか公開されていなかったが、明通寺の本尊も前代の決断により常時公開となった。
参道。
降りしきる雪の情景を目にした時の気分は満開になった時の桜の花を見る時のそれに近い感じがしました。この美しさは今だけ。ずっと続かない。目の前の一瞬を惜しむようなちょっと切ない気持ちに。
このお寺には樹齢500年を数える「かやの木」があります。写真は幹の部分だけ。