京都大原です。金閣寺を訪れた後、福井へ戻る途中で大原を通過するので寂光院に寄りました。平清盛の娘で安徳天皇の国母、建礼門院徳子が壇ノ浦で救い出された後、この地で終生を過ごしたとして有名なところですが、はじまりは聖徳太子の頃、推古2年にまで遡るとのこと。時間ぎりぎりでしたが、拝観を許してもらい、ちょっと駆け足で中へ。
ここを訪れたのはほぼ20年ぶりでした。2000年の5月にこのお寺の建物は放火で焼失しているのですが、私はそのちょうど一週間前にゴールデンウイークの休みを利用して寂光院を訪れていました。当時の建造物は江戸時代の再建でしたが、堂内には大きな木造の地蔵菩薩があり、建礼門院の手紙や写経を使用して作ったという徳子と阿波内侍の張り子像が残っていました。大原は人里離れたさびしい土地だったけれど、波乱の人生を送った建礼門院にとっては、都の中心に戻って人々の好奇の目に晒されることもなく、穏やかで心の平安を与えてくれる場所だったのではないかと思いました。人はこの世から消えても、その人たちが暮らした建物や愛用品はこうして残るんだと思っていた数日後に放火焼失の新聞記事。とてもショックで諸行無常ってこういうこと?って強く感じた記憶があります。今、目の前にあるものが来年もあるとは限りません。それなら今という一瞬、一瞬を大事に生きるしかないのかもしれませんね。