今年の大河ドラマの主役・明智光秀の居城、福知山城へいってきました。福知山は織田信長の命令で丹波国を平定した明智光秀に与えられた所領です。長い間、光秀は日本史の中で悪人扱いでしたが、頻繁に反乱する由良川に堤防を築いたり、城下町の整備を進めたり、この地ではその善政を慕われてきたそうです。小浜市から70km、舞鶴若狭自動車道を使って到着です。お城の近辺には上の写真のような幟がたくさん置かれていました。お城前に専用の無料駐車場がありましたが、平日なのに結構車があってびっくり。大きな太鼓橋をわたって坂道をのぼります。

 

野面積みの高石垣です。

 

天守は三重四層。再建なので中は小ぎれいな資料館です。今回、このお城でみたかったのが「石垣」です。

 

よくみると石垣の中に線がみえます。これ、右側は光秀が築城した当時の石垣、左側は後世に増築された時のものです。

 

 

この石垣でも見どころは光秀が築城したほうの石垣・・・。思っていた以上に転用石が多く使われていて驚きました。転用石とは違う目的のために加工されていた石がお城の石垣に転用されたもののこと。五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石仏、墓石などがあります。

 

 

大阪城の石垣にも石臼が使われていたりしますし、安土城の石段にも石仏が使われていて、昔、踏みそうになったことがありましたが、福知山城の石垣をみているとその比ではない感じ。突貫工事で築いたため、石材を調達する時間がなく、近隣の寺院からかき集めてきたものらしいですが、「これってどうなん・・?うーんあせる」と目を疑うほどの量なんです。光秀は戦国時代にしては珍しい教養人、常識のある人だと思っていたけれど、この罰当たりな石垣を目にしたらちょっと見方が変わってしまいそうでした。(笑)

 

 

天守閣の横に大きな井戸がありました。城郭内部の井戸としては日本有数の大きさなのだそう。50mの深さがあり、現在も水を湛えています。

 

同じく天守閣横にあった神社。こちらは後世の城主、朽木氏を祀った神社。光秀を祀った神社は別の場所にあります。

 

 

お城の中に入りました。内部は資料館です。階段で上り下りするようになっていてお手洗いもあります。シアタールームで光秀の生涯を振り返る15分くらいの映像展示をみてきました。信長側近の武将の中で最初に出世したのは丹波を平定した光秀だったことを知りました。所領を与えられ、信長から褒められる光秀に対して、嫉妬の炎をめらめらと燃やす秀吉の姿がなんだか強く印象に残りました。のちに秀吉が、光秀を討つため、「中国大返し」という超高速大移動をやってのけたのも、この嫉妬心が無関係ではないように思えました。男の嫉妬は怖いですね!

 

 

お城好きの人はこういう天守閣にがっかりしますが、お城の最上階。

 

時代はかわっても遠くにみえる山の稜線は昔と同じでしょうね。光秀もこの景色をみたのかなと思いながら。

 

 

 

このあと、城下にある期間限定の光秀ミュージアムにいきました。

 

大河ドラマ「麒麟がくる」の解説とか。大河ドラマはやっぱり「戦国時代」が王道のようです。今年は馴染みのあるエリアが多くとりあげられそうなので楽しみにしています。