川越市内観光の続きです。蔵造の街並みから時の鐘を通り過ぎ東方面へ歩いていくと住宅街の中に遺構が。川越城の中ノ門堀跡です。10年ほど前に整備されたそうですが、ここは川越城の中で唯一残っている遺構だそうです。向かって左側は60度の急こう配、右側は30度となっています。
急こう配は敵の侵入を阻むためのもので、左側(城壁側)が切り立っているので敵がやってきても容易に越えることができないようになってます。城壁にはよく見ると矢を射る狭間(はざま)が設けられていて、下でオロオロしているうちに敵は弓矢や鉄砲で撃たれてしまうという。
そこから少し歩くと立派な御殿建築。川越城の本丸御殿。ずっしりとした威厳のある建物です。
築城は1457年。太田道灌とその父、道真によるもの。その後、江戸時代になって川越藩主であった松平信綱により拡張工事が行われ、総面積9万9千坪の巨大な城郭になりました。明治になってからはここも日本のほかのお城と同じく大部分が移築・解体される運命に。玄関部分と移築復元された家老詰所のみが現存しており、埼玉県指定文化財となっています。藩政時代の本丸御殿が残っているのは全国でも高知城と川越城だけなのだとか。見学料は博物館の観覧料と併せても300円ちょっとでなんとも良心的。お城といっても簡素な造りで質実剛健な雰囲気で装飾なども最低限といった印象でした。
家老の詰所。本丸御殿に勤務する藩の家老が詰めていた建物。
藩主は参勤交代があったため、実質的に藩政を行うのは家老の仕事だったそうです。人形がおいてありました。当時の仕事の雰囲気はこんな感じだったのでしょうか。
この広間が一番広く、36畳。当時は御殿内で二番目に広かった座敷であったよう。来客が城主のお出ましまでの間、待機した部屋だったそうです。杉戸には絵が描かれ装飾を施した欄間がありました。
この右側のもふもふ。何と呼ぶのかわからず調べてみたところ説明書きの写真もとってきてました。槍鞘。日本三名槍のひとつであり、結城松平家の御手杵。もふもふは熊の毛。それも約30頭分も使っているそう。それだけに迫力がありました!
大広間の装飾。
次に向かったのが御殿から徒歩数分(ほぼ目の前)にある市立博物館です。隣り合って美術館もありましたが、時間が足りず、今回は博物館のみを観覧することに。広くて展示も立派でした。
中央には江戸時代の川越のジオラマが大きく展示されています。ここでちょうど学芸員さんによる説明が始まる時だったのでお話を伺うことに。この学芸員さんは非常に知識が豊富な方で説明が上手な方でした。川越の歴史や文化についてたくさん興味深い話をしてくださいました。たまたまこの時間の入館者が私だけで、いろいろ喋っていたら当初30分間の予定で始まった説明が1時間半も経過してしまいました!前の記事に書いた川越宿の大火や蔵造りわれなども全てこちらの学芸員さんが教えて下さったことです。時間があったらもっと喋っていたかったのですが、後ろ髪をひかれる思いで切り上げることになりました・・。
蔵造の街並みが立ち並ぶ通りのジオラマ。
耐火性にも優れた蔵造りの建物は基礎からして普通の建物以上にしっかりしているようでした。現在はこの技術をもった職人さんが殆どいらっしゃらないそうです。
こちらの木彫りは富山県の職人さんの手によるもの。富山には立派な木彫りで有名なお寺がありますね。
この後は氷川神社に行きました。続きます~