旅の2日目は埼玉県川越市にいきました。大げさですが人生初の埼玉県です!(笑)ここに行こうと思ったきっかけは宿泊していたホテルの最寄り駅みなとみらい線の「元町・中華街」から川越まで直通の路線ができたと聞いていたためです。始発から乗って乗り換えなしで行けるなら楽ちんだし、いってみよう、ということで電車に乗りました。私はJR川越市駅で降りましたが、一番近いのは西武新宿線の本川越駅のようです。観光用の巡回バスもあるようでしたが、ひたすら歩きました。蔵造りが立ち並ぶ川越宿の通りはとても「豪壮」な雰囲気!分厚い壁に重厚な窓、そしてどっしりとこれまた重そうな屋根。窓の扉部分も段階をつけて何重にもなっていてまさに蔵そのものです。

 

 

「小江戸」といわれる川越宿ですが、この街並みが出来上がったのは明治時代。1893(明治25年)年の川越大火の後のことだそうです。この時の火災で街の3分の2が一晩で焼け落ちてしまったと聞きました。大被害を受けて、建物を再興する時、耐火性の強い土蔵をつくろうということになったそうです。

 

 

 

この時、江戸からも多く職人さんを呼び、江戸日本橋の街並みに倣って漆黒の蔵造りを建てたそうです。川越が「小江戸」といわれるのはそれゆえなのですね。その後、時代の変遷とともに江戸の古い町並みは失われましたが、川越にその江戸の面影が受け継がれたということです。

 

下は蔵造りの街並みの中のひとつ、大沢家住宅。間口六間、奥行き四間半の店蔵造の建物です。大火以前から蔵造りで、川越大火の時に火の手があがった渦中に建っていたのに被害を免れたそうです。川越再興の時に蔵造の建物を・・ということになったのも、このことがあったからだとか。

 

 

お店の内側から。火災を生き延びているので築200年!現存する関東最古の蔵造だそうです。内部は立派な梁を渡したシンプルで力強い造りでした。昔は呉服関連のお店だったそうですが、反物を広げたりするような畳敷きのスペースが広くありました。二階に続く箱階段なども時代劇にそのまま出てきそうな雰囲気。お店の方によると欅の柱を使ってあるとか。あの普通の何倍もの厚さのある窓は防火扉同然で、これをしっかりしめておけば火も中に入ってこなかったのだとか。奥はごく普通の住居ですよ、と仰ってました。

 

 

現在はお土産用の小物が並んでいました。災害を生き延びたという縁起のよいお店だと思ったので記念に何か買って帰ることに。来年の干支のネズミの置物がたくさん置いてありましたが、ネズミだと来年しか飾れません。迷った末に招き猫の置物を買い求めました。見ているとほっこりと和みます。

 

 

大沢家住宅の近く、有名な「時の鐘」近辺。鐘は今も現役だそうです。こちらも川越大火後に再建されたものですが、オリジナルは江戸時代に川越藩主、酒井忠勝によってたてられました。酒井忠勝といえば・・小浜のお殿様でもあるのですよね。武蔵国川越藩2代藩主を務めたあと、若狭国小浜藩初代藩主に転封になっています。

 

 

この後で訪れた博物館の学芸員さんに教えてもらったのですが、酒井忠勝が若狭小浜に転封になる際、川越から獅子舞の演者らを一緒に連れてきたのだそうです。現在でも小浜ではお祭りの時に獅子舞の奉納があるそうですが、そのルーツはこの川越だったと。たまたまの気まぐれで訪れてみた数百キロ離れた街が、今住んでいる街とこんな深いつながりがあったとは驚きでした。

 

 

時の鐘を下から眺めた図。

 

この近くにあった和風スタバ。町屋造りで周囲に溶け込んでいるような。

 

 

蔵造が特徴的な川越宿ですが、実際に歩いてみると洋風建築も結構ありました。

 

 

 

 

川越は他にも観光名所がたくさんあってまる一日過ごせそうな感じ。この後は川越城の本丸御殿、博物館、氷川神社などに行きました。長くなるのでいったんここで切ります。