若狭町にある縄文博物館に行ってきました。
https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/jomon/index.html
以前、車で近くを通った時に大きな古墳のような形をした施設があり、
あとで博物館であることを知り、気になっていました。
広い敷地内には昔の竪穴式住居の復元版や、昨年オープンした年縞博物館もあります。
なかなか面白そう。
駐車場に車を停めて入り口に向かいました。
ここ↓、入り口かと思ったら違いました。
更に進む。
ぐるりと半周。
ようやく入り口に到着。
展示物の撮影は申請すればOKだったのですが、
ネット等への投稿はまた別の許可が必要ということでブログへの掲載は控えます。
この博物館がある「鳥浜」の貝塚からの出土品をはじめ、当時の生活を再現した様子が展示されていました。当初は縄目模様のついた縄文式土器とか、土偶が展示してあるのかしら・・程度に思っていたのですが、充実の展示内容は予想を上回るものでした。
入ってすぐの縄文ホールには縄文時代後期の杉の大株が展示されていました。ごつごつと盛り上がりのある木肌は迫力があり、何千年もの時を超えて迫ってくるものがありました。大陸から稲作が伝わる前だったので、この時代の生活は狩猟や木の実などの採取が主流。丸木舟で交易をする文化がすでに存在したそうです。木の幹をくりぬいた丸木舟も展示されていました。1万年前の人たちがこれに乗っていたのか~と思うとなんだか感慨深く。
当時の食生活を見るに、海の幸は鯛やアワビなど現代人には垂涎ものの食材が~。肉類は狩りで捕まえた鹿やイノシシなど。いまで言うジビエ料理ですね。なんとも豪華なものです
住居には家族が集う団らんの空間がありました。
縄文遺跡からは様々な生活用具が出土しますが、見つかることがないのが「人と人が集団で殺しあう道具」なのだそうです。この時代は戦争がなく皆で助け合う平和な社会が存在していたようです。縄文時代の人口は日本列島全部まとめて数十万人程度。たったそれだけの人口でこれだけの豊かな資源を有していたのですから、別に奪い合う必要などなかったのでしょう。
そして歴史のどの時代にあっても「文化」を生み出すのは「豊かさ」。高い精神性を感じる縄文土器や土偶などの「縄文アート」は豊かな時代だったからだこその産物だと思います。器などに残された文様やそのデザインは制約のないのびのびとした空気感を漂わせ、ゆるゆるとしたおおらかさを感じます。こんな時代が1万年も続いたのですね。気が遠くなるような長さですが。
最近、縄文文化を見直す動きもあるようです。万博公園の太陽の塔を製作された岡本太郎さんも生前、縄文文化を非常に高く評価されていました。どなたかだったか忘れたのですが、2020年の東京オリンピックの聖火台のデザインをぜひ縄文式土器のかたちに・・ということを仰っていました。平和の象徴であるオリンピックには格好かもしれません。
エレベータのドアです。
縄文時代にはすでに漆塗りが存在していたそうで、
黒と朱に彩られた器が展示してありました。
それをモチーフにしたと思われるデザインですね。
これは展示エリア外だったので投稿してもよいかな。(*^-^*)
それにしても福井県。
立派な施設がいろいろあるのにどこに行っても人がいません。
ゼロではないのだけれど少ない・・・。
鑑賞する側にはストレスなくてとても良いのですけれど・・(^-^;
もっと多くの人に観覧してほしいなと思い記事にしました。