
天正10年6月2日(1562年6月21日)は本能寺の変があった日。
日曜日、京都の阿弥陀寺で行われた信長公の法要にいってきました。

ここ、以前のブログ記事にしたことがありますが
織田信長公や嫡男秀忠、森蘭丸ら家中の人々の
遺骨が埋葬されているお寺です。
命日6月2日の法要の日だけは普段は非公開の信長公の遺品(手槍や書状)、
実際の本人に一番似ているといわれる木像が一般公開されます。
本能寺のほうでも法要が行われていたようですが
やはり信長公が眠る阿弥陀寺のほうへ行きたいと思いました。

以前参拝した時は閉ざされていた扉が開け放たれていました。
テントが張られていて受付があり、法事の雰囲気。
でもこれが日本史を塗り替えた人物のそれとは~。
本堂に上がるとご本尊の横に信長、嫡男信忠、信長の庶兄信広の木像があり、
そこで焼香しました。昔のネット記事をみるとたくさん写真が出てきますが、
近年撮影禁止になったようです。いただいた資料の写真を載せます。

旧臣が奉納したものでおそらく最晩年の姿。
以前読んだ本の著者はこの像の印象を
「信長の信念の強さと内面の孤独、憂鬱、恐怖までが伝わってくる」
と書いておられました。
教科書で見慣れた信長の比較的穏やかな表情とは違い、
この信長公の像に対する私の印象は
「冷たい目」「厳しい表情」といったものでした。
主人は「随分神経質そう」といってました。
比叡山の焼き討ち、長島の一向一揆殲滅・・
大量殺戮にあけくれた人生の後半です。
それ相当の覚悟がないとできないことであったでしょう。
感情を内側に押し込めただろう鋭利な目。
その表情は木像でも伝わってくる凄みがありました。
嫡男信忠の像は色白でやはりまだ若い印象。
筋の通った大きな鼻が父親譲りという感じが。
木像の近くには信長公の手槍も展示されていました。
金属の部分は腐食して茶色くなっていましたが、
実際に信長公が手にしていたものかと思うとすごく神妙な気分で。
赤い装飾を施した美しい馬具、弓を射るときに使う皮の手袋なども。
年月を経てぼろぼろになっていたけれど、それでもちゃんと形をとどめています。
阿弥陀寺の安堵を保証する書状も。
今でもこうして残っていること、それらを目にできるなんて。
(集めているわけではないのですが初めて「御朱印」をいただきました。
これを機会に御朱印集めを始めようかしら。)

ちょうど住職さんの講話が始まる時間であったので拝聴しました。
わかりやすいお話に1時間があっという間、足りないくらいでした。
このお寺の当時の住職、清玉上人がどういう方だったのかという話が
大変印象に残りました。
この人が信長の遺骨を本能寺から隠して持ち帰り寺に埋葬しました。
それができたのも信長と血はつながっていないとはいえ同じ家に育ち、
家族同様の間柄であったから。家中の人々の遺体を持ち帰り、埋葬し
遺品を遺族に返す作業をしたのも清玉上人。
何も知らなかったときは比叡山を焼き討ちにした信長が
一方で皇室を敬い寺社に多くの寄進をしたり
神仏を大事にしているのが不思議でした。
いろんな話を聞いたり読んだりしていくうち、
彼が憎んだのは神仏ではなく、
その既得権益に群がる輩だったのだと思うようになりました。
中世という壁を壊し、ものすごく大胆な規制緩和をした人物
ともいえるのかと思うときがあります。
さて本能寺の変。
この時代は名のある人物を斃すと討った側は
その遺体の首から上を掻き切り、首検分に供したそうです。
お坊さんが三方を胸の前に持ち、首の下にもってきて
「こんな感じです」といって笑いをとってみえました。( ̄д ̄)
検分が終わった家中の人々の首と胴体を再びつないで
お葬式をしたのだそうですが
その時に使ったのが柄杓の柄だったのだそうです。
(柄で首と離れた胴体をつないだ)
切腹の場面などで刀を清める際、柄杓で水をかけるのはその意があるだとか。
そのお話の時、開け放たれた本堂に強い風が吹き込んできました。
強風で天井の照明が激しく揺れ始めたんです。しばらく続きました。
お坊さんが「この話をすると、こういうことが起こるんです」と
ぼそっと話しておられたけれど・・偶然?いやそうとは。
ちょっと不思議でした。

私は話に集中していたので聞こえなかったのですが
主人は遠くで雷の音も聞こえたといっていました。
今年で438回忌。
信長や家中の人々の霊が近くにいたのかしらと思いました。

信長公のお墓と同じ敷地、少し離れたところに
清玉上人のお墓がありました。
前回同様、信長公のお墓にもお詣りしてお寺を後にしました。
そして、お寺の前の狭い通りをまっすぐいったところにある
お餅やさん(大黒屋鎌餅本舗)で鎌餅をお土産に買いました。

柔らかくてとても美味しいお餅なんです。
初めて買ったときとても感動し、京都にくるたび買ってもう何度目か。
この近くの出町柳の豆大福といい勝負だと思います。

7Fの神戸風月堂でお茶休憩。
私は先日の銀座木村屋で食べたあんみつがまだ心に残っていて、再びあんみつを。
丹波の黒豆がたくさん入っていて美味しかったです。
あとで出てきた煎茶もほっとするような味でした。

400年以上の年を隔てて信長公へのお焼香ができた日。
なんだか不思議な気分です。