67〜68本目。

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監督:佐向大
キャスト:大杉漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫、小川登、古館寛治、光石研

プロテスタントの牧師・佐伯保は、教誨師として月に2回拘置所を訪れていた。面会の相手は無言を貫く鈴木や、気のよいヤクザの組長・吉田、大量殺人者の若者・高宮をはじめ一癖も二癖もある死刑囚たち。彼らが自らの罪としっかり向き合い、悔い改めることで、心安らかに死を迎えられるよう対話を重ねる佐伯。しかしそれは決して容易なことではなく、またそうすることが本当に正しいことなのか、自らも迷い、葛藤し続ける佐伯だったが…。〜All Cinema~

2018年日本映画。数年前に同じタイトルの本を読んだことがありました。私自身は死刑存続を支持してはいますが、同時に人の命を法の名のもとに奪うことについての是非をここ10年、20年・・・ずっと考えています。大杉漣さん演じる教誨師の佐伯さんが対面する6人の死刑囚。それだけの罪を過去に犯したのだと思うのですが、刑を待つ間、絶えず死の恐怖に晒されている様子がわかるんです。大半が後悔も反省もしてない。「自分は本当はやってない」とうそぶく人もいれば、「なんでそんなことをしてしまったのか」本人自体がわかってなさそうな人もいます。そういう人たちの首に縄をかけてそれでおしまいというのが現在の死刑制度なのですね。

死刑囚らに佐伯さんが伝えるきれいな「神の言葉」も上滑りするばかりで、当初は全く彼らの心に届いてないように思いました。両者の間にはまるで面会の場面にあるような透明だけれども分厚いアクリルの壁があるみたいで。それは佐伯さん本人もやはり全てを晒し、相手と正面から向きあうことを避けていたからではないかと思います。彼らと接するうちに佐伯さん自身に変化が出てくるのがわかりました。それと併せて相手も彼に心を許し、関係に変化が生まれる。通い合うものが生まれてくる人もいる。人と人が向き合うということは自分自身も傷つくかもしれないという覚悟をもって自身の内面を晒すことであるように思います。簡単なことではないですね。だから他人と心のつながりを求めるよりも世捨て人になっているほうが楽かもしれません。

読み書きのできなかった高齢の死刑囚に佐伯さんが文字を教えます。文字を書けるようになったその人が最後に彼に渡した手書きのメッセージは聖書の一節からとったものでした。当初の場面で佐伯さんが語っていた空っぽのきれいな言葉とは全く違います。ずしっと重く、心に刺さりました。おそらくこの死刑囚は真正面から心の中にあるものを相手にぶつけたのでしょう。観る側にはこの言葉が投げかける疑問がずっと余韻のように残ります。この教誨師役の大杉さん、本当にはまり役でした。大杉さんはこの作品では主演とあわせてプロデューサーも務めておられたとのこと。結局これが最後の主演作になってしまいましたが、この映画をみたら本当に惜しい人をなくしたことだという想いが強まりました。もうこの人の演技を観る事ができないことがとても残念です。


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監督:吉田大八
キャスト:神木隆之介、橋本愛、東出昌大、松本茉優、山本美月、

 金曜日の放課後。バレー部ではキャプテンを務め、成績も優秀な学園の“スター”桐島が、突然退部したらしいとの噂が校内を駆け巡る。学内ヒエラルキーの頂点に君臨する桐島を巡って、バレー部の部員はもちろん、同じように“上”に属する生徒たち――いつもバスケをしながら親友である桐島の帰りを待つ菊池宏樹たち帰宅部のイケメン・グループ、桐島の恋人で校内一の美人・梨沙率いる美女グループ――にも動揺が拡がる。さらにその影響は、菊池への秘めたる想いに苦しむ吹奏楽部の沢島亜矢や、コンクールのための作品製作に奮闘する映画部の前田涼也ら、桐島とは無縁だった“下”の生徒たちにも及んでいくのだが…。〜All Cinema~

2012年日本映画。この年の日本アカデミー賞で監督賞や脚本賞を受賞し、結構話題になった作品だったと思います。タイトルから想像していたのとはちょっと違うストーリーなのですが脚本がよくできた作品で。高校生活が舞台。自分にはもう遠い過去のことですが、こういう雰囲気、確かにあったなあと思ったりする場面がありました。学校という狭い狭いコミュニティーの中にできるピラミッドのような人間関係(こういうのをスクールカーストというそうです)、そんな中で繰り広げられる青春劇というか。当時はこんなことにも一喜一憂していたなあと思い出したりしました。まあまあ面白かったです。