
前の記事の続きです。
階段を降りて内部の見学をしました。

廊下の展示棚にあったのが連合艦隊の各船のプラモデル。
こうやってみると壮観です。

日本の軍艦名は地名から採ったものが多いです。
アメリカの軍艦もやっぱり「アイオワ」とか「ミズーリ」とか
やっぱり州の名前が多いほか、最近のニュースで耳にしましたが
「ロナルド・レーガン」なる人名を冠した空母もあるようですね。
昔なら「ジョージ・ワシントン」というのもありました。

「敷島」は「大和」にかかる枕詞。
「八島」は本州、九州、四国、淡路・・など8つの島の総称。
誰もが知る地名を冠することで愛国心が鼓舞されたのだと思います。

「朝日」はおそらく・・本居宣長の歌からとったのではないかしら。
私の主人は子供の頃、軍艦のプラモデルを自分で作っていたらしく
連合艦隊の船の名前とかめちゃくちゃ詳しいんです。
これを見せてあげたかったな~と。




菊花紋の船首です。

東郷司令長官が身に着けていた軍服。

東郷さんの双眼鏡。
これでバルチック艦隊の動きを観ておられたのでしょうか。

バルチック艦隊の航路。
これを観ると・・・ロシア側にとっても
つくづく大変な戦争だったのだと思います。
喜望峰を周って延々と地球を半周して日本まできているので
日本に到着する頃には相当疲弊していただろうなと
容易に想像できてしまいます。
それに当時のロシアと他の国々の関係をみると
停泊させてくれない国もあったりしたようですし、
母国は母国で情勢不安定で。

日本海海戦の参加人名が展示してありました。
戦死された方、負傷された方の名のところには印がついています。
これをみると戦死、負傷者は思っていたよりとても少ないんです。
連合艦隊全体でも戦死者100人超と、被害は比較的軽微だったようです。
一方でロシア側のほうは戦死者だけで4千人を超えており、
日本海海戦は海戦史上稀に見る一方的な日本の勝利だったのだそうです。


東郷さんの寝室。


連合艦隊の作戦会議、バルチック艦隊の降伏文書調印もこの部屋で。



自衛隊元OBの方なのか、館内でお客さんに
日露戦争のことなどいろいろ説明されていました。
私もひょこっと仲間にいれてもらって話を聞いてきました。



艦内の見学はだいたい30分〜1時間程度だそうですが
私はついつい・・・それを大幅に上回る時間、長居してしまいました。

この後、横須賀沖にある猿島の探検にいこうと思ってたのですが
フェリーの時間を逃してしまい、諦めました。

