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旅行3日目。横須賀の三笠公園に行きました。
「坂の上の雲」で読んで知った戦艦三笠がここに保存されています。
長年ずっと行きたいと思っていた場所でした。


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三笠は日本海海戦を勝利に導いた戦艦です。
この戦艦が保存されている三笠公園は横須賀駅から
歩いて15分くらいのところにあります。

前に東条平八郎元帥の銅像が立っていました。
戦艦それ自体は小説やドラマの中では巨大で華々しいイメージでしたが
実際に目にすると意外と小さいなという印象を受けました。

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三笠の由来について。
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船上はこんな感じです。
艦橋部分、上甲板は往時の外観をみることができます。
中甲板は戦時の資料や当時使われていたものが展示されており、
また司令長官室、士官室、会議室など
往時を復元した展示を観ることができました。
この記事は上甲板と中甲板の2回に分けて書こうと思います。
船の用語とか海軍の用語なども詳しくなく
間違っているかもしれませんがご容赦ください。



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日露戦争勝利の象徴のような船です。
なのでか、戦後、ソ連は解体しろと要求してきたそうです。
米国はソ連の要求を考慮して保存するなら
艦橋、大砲、煙突、マストなどを撤去しろといってきたため
日本占領時代はここは水族館やダンスホールなどの
遊興施設になっていたそうです。

保管してあった大砲やマストなども管理していた民間企業が
売却してしまったとかで、その後は三笠も打ち捨てられた状態。
この時の写真を見ても戦後の数年間って本当に悲惨だったことが
手に取るようにわかります。
戦争に負けるってこんなみじめなことか・・・
という一側面でもあるように思えました。

その後、政財界、旧海軍の人たちの力で復元されるに至ったという
歴史があるそうです。こうした過去の遺産を観ることができるのも
平和な時代であるからこそだと思います。

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戦艦の両舷。こちらは8センチ補助砲?

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前甲板から主砲を見上げます。

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30センチ前部主砲です。
甲板部分も歩いて見て周れるし、
司令塔、最上艦橋まで行くことができました。ラブキラキラ

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前部司令塔です。分厚い壁に守られていますが、
やっぱり、え?これだけ?って感じ。
現代の感覚からすると防御といっても
この程度のものだったのと思ってしまいます。

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内部の写真。
司令長官、艦長が戦闘を指揮、舵をとる場所です。

最上艦橋です。

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日本海海戦でのバルチック艦隊迎撃時、
東郷平八郎連合艦隊司令長官が指揮を取った場所です。
床部分に銀のプレートが埋め込まれており
それぞれの人物がどこに立っていたかを示してあります。

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近くに加藤参謀長、伊地知艦長、秋山参謀の立ち位置。

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小説では砲弾吹き荒れる中、東郷司令長官はここに立ち続け、
戦闘が終わるまで微動だにしなかったという描写がありました。

上甲板真ん中あたりにあった記念撮影の場にあった絵。
こんな感じだったのかな。
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東郷さんは多分にその後、神格化されていますが、
やはりあの場面は印象に残る名場面でした。

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100年以上も前の戦艦がこのように良い状態で保存されているなんて
素晴らしいことだと思いました。

もし日露戦争で日本が負けていたらどうなっていたのでしょう。
ロシアの植民地になり、不自由な国になっていたのかもしれません。
しかし、勝ってしまったばかりにこれが成功体験となって、
自己過信に傾き、無茶な太平洋戦争に突き進んでいく
きっかけになったともいえると思います。
ひとりでこういう場所に行くとついつい「if」を考えてしまいます。
それも旅の楽しみであったりします。ウインク

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