
昨年、この本を読んでから気になっていました。
信長公の遺骨を納めたお寺が京都市内にあると。
本能寺の変が起こった時、このお寺の清玉上人が
現場に駆け付け、自害した信長を見つけ、
その遺灰、遺骨を持ち帰り、供養・墓を建てたそうです。
信長公のお墓といわれる場所は他にもいくつかありますが
阿弥陀寺の公墓だけが宮内庁調査で廟所(お墓)と確認され、
勅使の訪問もあったそうです。
その他にある信長公の墓は供養塔であるとのこと。

お寺は京都市上京区の相国寺近くにあります。
立派な本堂がある堂々とした感じのお寺です。
本能寺の変の後、秀吉は遺骨の引き渡しを求めました。
しかし清玉上人は(それを利用して信長の後継者になろうという)
秀吉の下ゴコロを読み取り、引き渡しに応じませんでした。
秀吉はその後も法要料などを差し出しましたが
清玉上人はこれをも辞退。
上人の対応に秀吉は大変怒り、阿弥陀寺を徹底的に弾圧しました。
寺領の多くは没収され、もとあった場所から今の場所に移転。
移転後も信長の墓所と称することも禁じられたようです。
秀吉は自身が後継者であることを世にアピールするため
大徳寺で大変おおがかりな信長の葬儀を取り行っています。
遺骨がなかったのでお棺の中には信長の木像をいれていましたが
それに先立ってはこんな経緯があったのですね。


お寺には信長父子の木像と位牌が安置されており、
6月2日(本能寺の変の日)のみ特別公開されるそうです。
木像は最晩年のものらしく、
よく知られている教科書の肖像画以上に
本人の面影を一番よく伝えるものだそうです。

信長公の廟所を示す看板。

お寺の裏側に墓地エリアがあります。
信長公のお墓もここです。
信長公のお墓と嫡男・信忠のお墓が並んでいました。

墓地エリアに入ってすぐのところに無縁仏と思われる
墓碑群があります。
その奥には檀家さんのお墓が立ち並んでいます。
その横、墓地の一角に信長父子の墓。
日本史の中で知らない人はいないというくらいの人物なのに
正直なところ、あまりにもの簡素さに驚きました。
お墓の後ろの卒塔婆?はよくみると、
歴史関係の書籍出版社だったり
旅行会社などの名前が書いてありました。

信長家中百人余の人々が供養されています。
すぐ横には森蘭丸兄弟のお墓もあります。
三兄弟全員が討ち死にしています。

信長の菩提寺は大徳寺にあり、もっと華々しい印象ですが
こちらはひっそりと静かな場所という感じ。
周囲に人の気配は殆どありません。
場所がら観光客がどっと訪れるようなところでもなさそうです。
この下に信長公が眠っていると考えると不思議な想いに捉われました。
この人があと20年長く生きていたら歴史はどうなっていただろうかと
またしてもいろんなことを夢想してしまいました。
それにしても・・・あの信長公のお墓にお詣りしたと思うと・・・
この日はなかなか満足度の高い一日になりました。


