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心に響いた一冊でした。脳科学者の茂木先生と牧師・ホームレス支援者である奥田氏の対談。自己責任論がまかり通り弱者に冷たい視線が注がれる現在の日本社会。「絆は傷を含む」という言葉が印象に残ります。奥田氏がいうところの本当の人との絆は傷ついたりすることも当然あるということ。違う価値観、背景をもつ他人と他人が関わるのであるから当然のことなのだと。そして本来の自己認識(自分とは何者かを知る)は自分と違う他者と接した時に深まるものだということ。

現状、他者と深くかかわろうとしない人が増えています。自分のペースを変えられたくない、居心地の良い安心安全な仲間たちとだけ過ごしたい、それは「傷つきたくない」「自分を守りたい」という理由があるから。喧嘩なき社会は優しい社会ではなく冷たい「無縁社会」です。なぜ他者と喧嘩しなくなったかというと、仲良くなったのではなく無縁になったから。「安心安全」のために他者との関わりを避けるようになった結果が「無縁社会」だという。なんだかとても皮肉な結果。

こうした無縁社会は人間を本来の幸福からどんどん遠ざけているのではないかという内容でした。人は一人ではいきていけない、これは事実。人間は他者との助け合い、共存が必要。そのためにはやはり傷つくことも受け入れなくてはならないのでしょう。「自己責任」といっていれば他者と関わらずに済むし、人と出会わないで済む。でもこの安全の確保は我々をただ「孤独」にしたという。絆を紡ぎ直すために必要なのが「助けて」という言葉であり、これこそが社会が社会であるための根拠だと。

東日本大震災後、「絆」という言葉を耳にするたびに感じていた虚しさというか実質の伴わない上滑り感。その一方で他者の感情を損ねないように(かつてに比べると?)異常なくらいの気遣いをする人が増えてきたということ。この本を読んでその違和感の理由を言語化して理解できたように感じました。

また社会に不安定感が増し、安定を求める人が増えた昨今。安心安全のために結婚する、友達を作る・・こんな行為もなんとなく当たり前のように見聞きしますが、これは人間関係の「リスクヘッジ」であり、相手をひとりの「人格」ではなく、自分が安心に生き延びるための「手段」とみているのではないかという指摘には考えさせられるものがありました。相手を「人格」ではなく「モノ」としてみる人間関係に真の豊かさはあるのでしょうか。

思いつくままに書き連ねてしまいました。まとまりのない文章ですみません。


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今月読んだ本。全部で7冊でした。あまり気合いをいれずに済むような本ばかりだったためか、特に心に残る内容の本は他にはなかったようです。(一一")