
旅行初日、最初に訪れたのは鳥取城跡です。
鳥取城は織田信長からも「堅固な名城」と評された立派なお城だったようです。
日本百名城のひとつにも数えられています。
現在、登城路の復元工事中でまもなく橋が完成するようです。
近くに無料駐車場があり、そこに車を停めました。

城主だった吉川経家像です。

天下の名城といわれますが、
私はこのお城については秀吉と軍師官兵衛の策略により
「戦国時代の悲惨中の悲惨」、「この世の地獄絵図」を
経験したお城のイメージが強くあります。
数年前に黒田官兵衛を主役にした大河ドラマがありましたが
西国攻めの時にこの場面はやっぱり出てきませんでした。
彼らがやったことが、あまりにも残酷すぎて、
とても映像化できるものではなかったのかと想像しています。
興味ある方は「鳥取城」、「渇え殺し」で検索してみて下さい。

とても怖い描写がたくさん出てきます。




なので、「出る」という噂もある鳥取城。
でもお昼間なら大丈夫かしら、と北ノ御門跡から入ります。

この辺はきれいに整備されていて左側には博物館、
右側には明治時代の洋風建築仁風閣が建っています。
小学生の野外学習?とすれ違いました。

坂下御門。もともとは1967年(慶応3年)に創建されたものですが
昭和1975年(昭和50年)に復元されたとのこと。
立派な石垣が残っています。
その後誰ともすれ違うことがなく、ちょっと寂しい感じ。
山麓部分は鳥取藩32万石の居城だった頃のものです。
津の藤堂藩も確か同じくらいの規模ですね。


二の丸のあたり。
紅葉にはちょっと早いですが秋の気配に包まれていました。

櫓跡です。

櫓跡にのぼってそこから鳥取市内を一望。

素晴らしい眺望です。
背景の山々が重なって淡い色が影絵のようでした。
ここもまた山の国なのだと実感します。
表御門跡です。この辺もだいぶ復元が進んでいるようです。


日本のお城でもこんなのは鳥取城だけという石垣があります。
天球丸 丸石垣です。
平面の石垣ばかりを見慣れているためかぼこっと膨らんだ様子は

平面の石垣ばかりを見慣れているためかぼこっと膨らんだ様子は
石垣の「おでき」みたいで、なんだか妙な感じがします。
1807年(文化4)、背後の石垣が膨らんできたので崩落防止のために
この球面石垣が築かれたのだとか。現在の石垣は2012年の復元。
最初から丸く造ったわけではないのですね。






丸石垣の近く。うーん、これは何なのでしょう。
ガイドさんがみえたら尋ねてみたかったです。

天球丸、楯蔵跡を周って三の丸経由で帰りました。
今回歩いたところは山下の丸(さんげのまる)という近世城郭跡。
山頂に中世山城の名残りをみることができるようですが、
相応の靴を履いていなかったし、体力の自信がなかったので
後ろ髪をひかれる思いで諦めました。
それに、「出る」といわれても、現実的には
「落ち武者」よりも「熊」が出るようです。
そちらのほうがもっと怖いので!!



総じて、ここのお城は見応えありました!
機会あれば次回はお城に詳しい人に案内してもらいながら
もう一度歩いてみたいところです。