
17,8年ぶりに比叡山延暦寺を訪れました。
前回は確か7月頃にのぼったのですが
真夏でも高い山の上にある延暦寺は
ひんやりとした空気に包まれていた記憶があります。
この週末も全国的に夏日と言われていながら
山の上は随分涼しかったです。
現在の延暦寺は横川、東塔、西塔の3つのエリアに分かれています。
今回、時間があまりなかったので横川と西塔は飛ばして
東塔エリアのみを歩きました。

戦国時代の終わりに織田信長による焼き討ちで
当時1万人くらいの人が亡くなり、伽藍も大半が焼失しています。
現在の建物は多くはその後の時代に再建されたもの。

大講堂です。こちらは昭和39年に山麓坂本の讃仏堂を移築したもの。
横に鐘楼があります。

比叡山は京都の街を見下ろすようにそびえてます。
どっしりとした存在感をもち、京都の街に濃い影を落としている感じ。
歴史の中でも比叡山は長い間、日本の政治に強い影響を与えてきました。
いろんな時代小説にも出てきます。
吉川英治さんの「新平家物語」は暫く前に読みましたが
当時の仏教寺院は今のおとなしい文化的存在というよりは
もっと粗っぽくて怖い存在。
僧兵とかも、お坊さんなのか兵隊なのかわからない感じで。
当時の仏教、僧侶は現在のそれとは随分概念が違う
もっと政治的なものだったのかと思います。
鐘楼です。

開運の鐘ということでたくさん人が並んでいました。
ごぉぉぉ・・・ん、と低い荘厳な音が山全体に響き渡っていました。
中心となる仏堂、根本中堂です。

薬師如来さまがご本尊です。
1200年灯り続けている「不滅の法灯」が安置されています。
現在の建物は江戸幕府の3代将軍家光の時に竣工したものだそうです。
前回の見学時の印象では比叡山の中でもここは
とりわけ厳かな雰囲気があったところでした。
でも今回、根本中堂は大きな建屋に囲われていました。
平成28年から10年かけて修復工事なのだそうです。


こんなこと言うのもなんですが、この状態ではお寺というよりも
なんだか工場見学にでもきたような気分です。
暫定的な囲いとはいえ、すごくしっかりした造りで
本当の工場の建屋みたい。なのですごい既視感。(苦笑)


モニターに修復前のお堂の写真が映っていました。

暫く前に出雲大社へ行ったら、その時もこんな修復中でした。
屋根を見下ろすことができるのもこの時期だけの経験ですね

お堂を出たら視界に入ってきたすごい傾斜の石段。
山門にあたる文殊楼です。

がんばって登ってみました。
すごい傾斜!昔の人って小さい身体でよくこんな石段を
のぼりおりしていたなと思います。
翌日に起きたら早速筋肉痛に襲われました。
そして今も足が痛いです




石段を降りたところにある書院。静かな雰囲気。
そのほか境内での点景です。





今回はお堂の改修工事ということもあってか印象がいまひとつでした。
昨年秋に訪れた姫路の書写山円教寺と比較してしまうのですが・・・
西の比叡山と呼ばれる円教寺のほうが感動の度合いが大きかったです。
姫路のほうは鬱蒼とした森の中から突然大伽藍群が現れるようで
もっと凄みがありました。今回の延暦寺にはあんな威容、怖さは
感じなかったので。
おそらく何か大事なものを見逃したのではないかと思ってます。





今回は西塔、横川エリアに寄れなかったので改めて後日いってみたいところです。