

安倍晴明の子孫、土御門家の人々が応仁の乱の混乱を
避けるため3代にわたり移り住んだのがおおい町の名田庄。
福井県と京都府の県境です。
ここにある暦と天文学に関する資料館である
暦会館に行ってきました。

中世の天体観測道具や昔の暦などが展示されていました。
陰陽師の映画がヒットした頃は全国からファンが訪れたのだそう。
いまはひっそりと静か。
ひとりで観ているだけだったら限定的な理解にとどまったと
思いますが、館員の方がとても丁寧に説明して下さって大変
興味深い時間を過ごしました。
安倍晴明の肖像画。

安倍家は古代律令制の時代、
天皇ー太政官ー中務省の下にある「陰陽寮」という部署にいました。
陰陽寮は占い、天文、時、暦の編纂を担当する部署だったようです。
当初、陰陽寮で安倍氏が天文、賀茂氏が暦を担当していたのですが
賀茂家が絶えたことで安倍家が天文・暦の宗家に。

安倍晋三さんは奥州安倍氏の子孫。
暦はもともと中国から伝わったもの。
土用みたいに「この時期は土を触ってはいけない」とか
天赦日のように「何をしてもOK」などのほか、
「この日は爪を切る日」とかまであって驚き。



西洋式の太陽暦導入以前の太陰暦は
大きな自然の時間の流れに沿った感じで
木々の呼吸の感触まで伝わってきそう。
農家が大半だった昔は太陰暦は
日々の生活と切っても切り離せないものだったのではないかと思います。
明治になって政府が西洋にあわせて太陽暦を導入しましたが
庶民は農業のことや家のことなどが書いてある昔の暦を
「おばけ暦」(ないことになってるけどある暦)といって
こっそり使っていたそうです。

暦の雰囲気も時代によって変わります。
明治時代、日清~日露戦争の頃の暦は威勢がよくて
七福神までもが軍服をきていたりする。





「めくら」というと差別用語的ですが
昔は文字の読めない人たちのために
絵でみてわかる暦を作っていたのだそうです。
この読み解きが面白い。

一番上の段の真ん中あたり。
右から左に、「鯛」、「笙(楽器)」、「7」、「馬」がありますが
「大正7年午年」と読むのだそうです。
その下にある「馬」と「蛇」と「門」は今年の恵方。
巳午は真南のちょっと東側です。
こんな感じで見てて楽しい展示がいっぱいありました。
八卦占い。

古来、占いというのも「宇宙の摂理、流れを読む」
という感じで使われていたのかなと思います。
簡単にできるのでやってみました。
私自身の占い結果を要約すると
「新しい流れを掴む時」ということのようです。
最近の心の変化とか状況とぴったり合っていたので驚きましたが
占いって気持ちを深く入れ過ぎると却って全然当たらず、なにげに
ちょろっとやってみると当たるような気がします。

結構長居してしまいました。(^-^;

資料もたくさんいただきました!


