福井市への遠足、続きです~ (*^-^*)
美術館の次に向かったのは北の庄城址。
柴田勝家が築造した北ノ庄城があった跡です。
同じ敷地に柴田神社が再建整備されています。
場所は市街地のどまんなか。
SEIBUの駐車場に車を停めて徒歩5分ほどのところにありました。

キラキラしたビルの隣でそちらに気がいってしまい、
最初は気づかずに通り過ぎてしまった・・・(・.・;)

こんな感じ。街の発展の中でかろうじて残っているようでした。


柴田勝家は織田信長の有力な家臣のひとりでした。
このお城は勝家自らの縄張りによって築城されたそうです。
目まぐるしく移り変わる戦乱の世だったのでこのお城が存在したのは
わずか8年という短い期間だったそうです。
宣教師のルイス・フロイスがここを訪問していて
残された記録によると北ノ庄城は信長の安土城に匹敵するような
大きく立派なお城だったようです。
信長亡き後、羽柴秀吉との間で織田勢力を二分する
激しい戦いが起こりました(賤ヶ岳の戦い)。
敗れた勝家は妻のお市の方とともにこのお城で自害しました。
そしてお城も落城。(/_;)

隣接する柴田神社にある三姉妹の像。


三姉妹のお母さん、お市の方。
戦国一の美女といわれました。
でもとても数奇な生涯でした。

柴田神社には勝家公、お市の方が合祀されています。
そのため全国から勝家公、お市の方のファンのひとたちが
お詣りに訪れる神社になっているそうです。

敷地内の資料館でみつけたルイスフロイスの書簡。

こんなふうな表記で紹介されているらしい。

徳川期、北ノ庄城の遺構の上に福井城が造営されました。
明治、戦後~現代にいたるまで福井の中心地として発展してきたことを想うと
福井の街は勝家が築いた礎の上に発展してきたことになりますね。
勝家に対する私のイメージは
勇猛果敢でありながら情の深い立派なお殿様。
戦国武将の中ではとても好きな人物です。
この場所を訪れることができて良かったです。(^-^)
