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これ、どの辺で撮ったものか覚えていないのですが姫路城は
石垣だけでもスケール感がたっぷり。


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石垣の形状は戦国時代にはごつごつした石を組み合わせた
野面積というものでしたが、時代が進むにつれて、
石の四面をぴったりと合わせ、隙間の少ない打ち込みハギ、
切り込みハギに変化していきます。

平和な時代になって時間的に余裕が出てきたので
精緻を凝らした「より美しい石垣」を作る、ということへ
価値観が変わっていったのでしょうか。

私はどちらかというと野趣に富んだ野面積みの石垣が
結構好きですが。(*^-^*) 

石積み集団というと近江(滋賀県)の穴太衆が有名です。
近くにいらしたガイドさんの説明を聞いていたら
現在もでもその伝統を継ぐ企業が滋賀県に1社だけ
残っているそうです。
ココ!↓



壁に開けられた狭間(はざま)。
ここから城兵が矢や鉄砲を敵に撃ちかけるものです。

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無駄のない構造、デザインは戦闘という機能性の追求を
第一にした結果だと思いますが
このシンプルさが美しいなと思いました。

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二の丸手前にある櫓。
屋根の色が白と黒で、
ちょうどいいコントラストになっていたので一枚。

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修復が終わって姫路城は真っ白な色をしていますが
屋根も白くみえるのは瓦の継ぎ目に白漆喰を塗ってあるからだそうです。

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以前の姫路城が黒ずんでいたのは漆喰部分にカビが生えていたからなのだとか。
漆喰は1年くらい経つとカビが浸食して黒くなり始めるそうです。

今回の修復では防カビ対策が施されているそうですが、
それも3-5年の寿命らしく、
今回、真っ白なうちに目にすることができて良かったです。
黒ずんだ漆喰は近くでみるとこんな感じ。

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順番が前後しますが、この石垣。
大きな石材は古墳の石棺を使っているそうです。

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こちらにも。築城時にはあちこちの古墳が壊されたとかなんとか。
呪いとか怖くなかったんでしょうか。
それとも石棺さえ使わなければならなかったほど
石材不足だったのか。|д゚)

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これはお菊井戸。


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お城の内部です。立派な木材が使われていてどっしりした雰囲気。
平日なので内部も空いていましたが土日は観光客でいっぱいだと伺いました。

混雑時には整理券が配られ、一日1万5千人だったか
入城制限がかけられるそうです。
休日や繁忙期に行く人は気をつけてくださいね。

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立派な木材が印象的だった内部構造、中でもこの大柱。
東西にあり、姫路城の地階から6階まで貫通しています。

西大柱は昭和の大改修で取り換えたそうですが
なかなかこれだけの大木が見つからず、
木曽国有林の樹齢780年の檜と
地元の樹齢670年の檜を3階で継ぎ合わせたのが
昭和大改修の主な仕事だったそうです。



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東の大柱は根本部分を補強しただけで、柱は当時のオリジナルのままだとか。
池田輝政公もこの柱を触っていたかな?
それにしてもこんな巨大な柱、、、ここまで運ぶだけでも大変だったでしょうね。

天守の最上階から眺めた姫路駅側。
大通りの突き当りが駅ですが、当時の外堀がこの辺だったそうです。

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さてさて。
外に出て今度は本丸(備前丸)のところへ。
大天守を間近で見られる広場になっています。

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ベンチに座ってしばしお城の姿を鑑賞。
石垣のラインが美しい。白漆喰総塗籠の城壁も目に眩しい。
真ん前からみると本当に堂々とした雰囲気に圧倒されます。

ちょっと近づいて下から。
迫力があります。

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次は西の丸へ移動。
百閒廊下という240m続く渡り廊下。

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西の丸からの眺め。
西の丸は日本庭園が整備されていて
ここからの眺めも抜群です。

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姫路のお城でこれだけのスケールなら、、、
加賀のお城や、名古屋城、大坂城、江戸城など
往時はどれだけ壮観だったものでしょう。
いろいろ想像が膨らみますが想像しきれないですね。

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この後はお城の横にある庭園、好古園へ行きました。
続きます。