
記憶が鮮明なうちに岡山旅行記の続きを書いておこうと思います。
美観地区でまず歩いてみたのが
前回の倉敷訪問時には行くことができなかった倉敷アイビースクエア。
イギリスの工場をモデルに建てられた倉敷紡績(クラボウ)の
工場跡を利用した複合施設です。
再開発した工場跡エリアにははホテルや博物館、美術館などがあります。

アイビースクエアというとやっぱり赤レンガと蔦(アイビー)の景観ですね。
紡績工場時代、「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という
大原孫三郎氏の提唱のもと、これらの蔦が植えられたそうです。
夏は緑のカーテン効果で暑さを遮り、冬は落葉してレンガに外気をあて
内部の温度調節をすることができたという。
近代日本の紡績産業というと、「女工哀史」の物語があり、
「ああ野麦峠」の歴史があり・・・
超ブラックな労働環境で働かされていた
悲惨な女工さんたちの姿を連想してしまいます。
殆ど時代が同じくらいなのに大原氏は労働者、一般市民のための病院を
設立したり建設したり、大正10年には労働科学研究所をつくって
カロリー計算に基づく給食を実施したりしています。
大変進んだ考えの持ち主で、
こうした経営者は随分例外的なものだったのではと思います。
この大原孫三郎氏という方は中国地方屈指の実業家で
父祖から受けついだ財産をもとに倉敷紡績を大きくし、中国銀行、中国電力などの
社長を務められた方。大原美術館の創設者でもあります。
「社会から得たものは社会に還元する」という
徹底した奉仕精神の持ち主で、本当に素晴らしい方だったのですね。
児島虎次郎記念館

煉瓦造りの美しい建物です。
倉紡の倉庫だったところを展示室として公開しています。
児島虎次郎さんは画家として才能のある方だったそうですが
大原氏から依頼を受けて大原美術館のコレクションとなる作品を欧州で収集しています。
大原美術館とセットの観覧券を購入して、作品を鑑賞してきました。
児島氏の絵画作品のほか、彼が収集した古代エジプト、オリエント美術品が
展示されていました。小さな大英博物館のような感じ?(*^-^*)

江戸時代、この地は幕府の天領(幕府の直轄領)となり、倉敷代官所が置かれました。
ここが天領となったのは西国大名の監視が目的だったとかなんとか。
オルゴール美術館。

工場跡。
内部はホテルになっています。
外壁には緑の蔦がぎっしりと絡まっていました。

ホテルのパティオ(中庭)です。
「アイビースクエア」というとこのイメージ。
中世のヨーロッパに紛れ込んだような雰囲気が漂います。



アイビースクエアの隅に池があり水連の花が咲いていました。
フランスのモネのアトリエから株分けされたものなのですね。

敷地内にあった倉紡記念館を見学しました。

明治時代の建物を改造したもので、
日本の紡績産業の歩みと共に
クラボウの歴史が展示されていました。

この展示室には明治期の紡績機械や創業当時の文書などが展示されていました。
機械はその多くが紡績産業の先輩、産業革命で栄えたイギリス製のものでした。

昭和の時代の展示室。
クラボウは三重県津市にも工場を操業していたようで
これは津工場の模型。大きいですね!

近代日本において紡績は国の基幹産業であり、戦後まもない頃は
鉱山、製鉄会社と紡績会社が日本の企業売り上げトップの大半を占めていました。
上位企業には鐘紡、東洋紡績、八幡製鉄、富士製鉄などが名を連ね、
電機や自動車などはずっと下位。時代の変遷を感じます。
展示を観ていて複雑な想いにかられたのが
第一次世界大戦や朝鮮戦争の動乱期に、
企業の業績がぐっと伸びていたこと。
自分の国で戦争が起こると悲惨ですが、
よその地域での戦争は特需になってとても儲かるのです。(T.T)
これも昭和時代の展示室です。
襖絵は棟方志功さんの作品です。

「玉みがかざれば器とならず。人学ばざれば道を知らず」
従業員に学問を続けることの大切さを説いた言葉で
工場の礼法室に設置されていたそうです。
平成時代の展示室には戦後の復興以降のクラボウの歩みが展示されていました。
時代の流れと共に事業も多角化しています。

繊維で培った技術を基盤に化成品、エンジニアリング、エレクトロニクス、
バイオメディカル、工作機械、食品・サービス、
不動産などの分野へ事業を拡げてきているのですね。

なかなか見応えがありました。
日本の紡績産業の通史を学べる博物館だと思います。
入館してから退館するまで見学者は私ひとりだけでした。
天気が良かったので、観光のお客さんはみな
美しい街並みを散策するほうを選ばれていたのかもしれません。(^-^;
この後は倉敷民芸館、大原美術館へ向かいました。続きます~(*^-^*)