
連休後半、どこかのお城を見に行こうということになりました。
本当は一乗谷に行きたかったのですけれど、熊が出るとかなんとか。
遭遇したら怖いので敦賀市にある金ケ崎城跡へ行きました。(^-^;
整備されていて歩きやすくなっています。
とはいっても山城です。歩きなれていない人には結構しんどい。

金ケ崎城にはたくさんの歴史があります。
Wikipediaで調べてみたところ、金ケ崎城は源平時代、
平通盛が木曽義仲との戦いのために城を築いたのが最初だとか。
太平記の時代、戦国時代にも戦いの場所になっており、
軍事的にも要衝の地であったのでしょうか。
敦賀の桜の名所としても有名なところだそうです。
今年の春のお花見はここを狙っていたのですが
あいにく満開時は天候がいまひとつの日が続いて
お花見は実現しませんでした。

これは南北朝時代の時の碑。
北朝の足利軍と戦って敗れた南朝の
尊良親王(後醍醐天皇の皇子)と新田義顕(新田義貞の息子)は
ここで自害しました。

月見御殿跡からの眺め。私が金ケ崎城と聞いてすぐに連想するのは
戦国時代、織田氏が朝倉氏を攻めた時の金ヶ崎崩れの下りです。
退却の時の殿軍を務めた木下藤吉郎が名を高めたところ。(*^-^*)
彼もここから同じ風景を見たのだろうか・・と想像しました。

上の位置からカメラを90度ほど右に動かすと
こちら側は一帯に北陸電力の火力発電所と
セメント会社が・・・(^-^;
一気に気持ちが現代に引き戻されるようです。笑

金崎宮。
南北朝の戦いの時に命を落とした尊良親王、恒良親王がご祭神です。

話がまた戦国時代に戻りますが、
織田軍が北陸の朝倉氏を攻めたとき、
後方にいた浅井氏が裏切って朝倉方に付き、
双方から織田信長の軍勢を包囲しようとしました。
この時、浅井家に嫁いでいた信長の妹、お市の方が信長に
両端を縛った小豆袋を送り、
「織田軍は袋のねずみ状態よ!!」と
危険を知らせたという話があります。
その逸話によるものか、こちらの神社ではこんな御守りが売られていました。
故事にちなんで「難関突破」のおまもりなのですね。

新緑がとてもきれいな日でした。
歴史の数々の場面で舞台になった金ケ崎城は
歴史好きな人にはとても興味深いところだと思います。
