
浜松滞在記の続きです。
翌日。目覚めてカーテンをあけたら青空が広がるとても良いお天気!
ちょっと遠出をしてみることにしました。
浜松市街地から北方向へ20kmほど車を走らせ、辿り着いたのが天竜川沿いにある二俣城址。
西側は天竜川、東側には二俣川が流れ、自然の要害の地に築城された中世の城郭です。
武田信玄親子と家康の戦いで有名ですが私にとっては
家康の嫡男、信康が悲劇の最期を遂げたお城・・・という印象が強く残っています。

こちら本丸&二の丸のあった場所↓↓
紅葉の名所・・・ということで訪れたのに・・・
あらま。なんだか残念な光景。(´・ω・`)

事前にスマホで紅葉情報を検索したところ
「見頃」とあったので期待していたのですが
既に終わっていました (一一")
他に女性が二人みえました。
地元の人のようで、お話していたら、
紅葉がピークの頃はこの一面が燃えるような真っ赤な色に染まっていて素晴らしい眺めなんだとか。
二俣城址を訪れたのは11月22日。関西ならまさに紅葉のピーク。
今年は紅葉時期が早いのか、浜松はこんなものなのでしょうか。
本丸跡です。


野面積みの天守台、ところどころ草が生えていて「つわものどもが夢のあと」という風情です。
家康にはとてもキレ者だった優秀な長男がいたのですが、
武田氏に内通したとされ、このお城で切腹させられています。
将来、自分の脅威になる、と危ぶんだ信長がいまのうちに芽を摘んでおこうとしたのでしょう。
以前訪れた別の場所でガイドさんに聞いたのか、
山岡荘八さんの小説で読んだのか記憶があやふやですが・・・
信康はその悔しさから、切腹する時に自分で自分の腸を抉り出し、
部屋の壁にそれを叩きつけて果てたそうです。
その悔しさいかばかりであったでしょう。
この時期の家康はまだ信長に従順でなくてはならず、NOとはいえない状況。
自分の頼もしい跡取りとして育てていた長男を殺さなければならない立場の家康の心の裡は・・と
考えてしまいます。この時、家康の正室、築山殿も内通の罪で殺害されています。
家康は苦労の人だったといわれるエピソードのひとつです。
こちらは北曲輪跡に建つ、旭ヶ丘神社です。
参拝者の姿もなく静かな境内でした。
鮮やかな銀杏の黄色が目を惹きました。

二俣城址のすぐ近くに信康のお墓がある清瀧寺があります。

こちらにもお詣りしました。
ここにある鐘・・・
どこのお寺にもある普通の鐘ですが・・・
説明文を読んで「あー、ここだったのー!」と。


このエピソード、以前、本田宗一郎さんの自伝を読んだ時に書いてあって
とても印象に残っていたのです!
小さい頃からやんちゃで型破りだった本田宗一郎氏。
通っていた小学校では正午を知らせる近くのお寺の鐘の音で
生徒たちはお弁当を食べていたようですが、
本人はお腹がすいたので
勝手に寺に行って鐘を突いた。それでまんまと先生をだまし、
早弁できた・・・などということがあったそうです。
そういえばあの自伝には若い時、芸者さんを車に乗せて一緒に天竜川に落ちてしまった、
という話もありましたが・・・
ココ? (;・∀・) ↓↓

さすが世界のHONDAの創業者には武勇伝がいっぱいあります。
本田氏の生まれ故郷が浜松だったということだけは知っていましたが
偶然にもゆかりの地を訪れることができてラッキーな気分でした。
お寺のすぐ横には本田宗一郎「ものづくり伝承館」という資料館がありました。
あいにくこの日は閉館日。
次回訪問の折はぜひ再訪したいと思います。

行き当たりばったりでふらふら~と行ってみたのですが
なかなか面白い発見があったりした日でした。(*´▽`*)
