
今回の北陸旅行、行先の候補地は「金沢」か「小松」で、当初はどちらにしようかと迷っていました。
先月半ば頃のことですが、たまたま海老蔵さんのブログを読んでいたら、
その時、「小松に来ています」という記事が更新されていました。
小松は亡き父、團十郎さんが特別の思い入れのあった地だったと。
小松・・・そういえば近くに「安宅の関」がありました。
「勧進帳」の舞台になったところです。
歌舞伎やお能、文楽などで数限りなく演じられており、
おそらく日本人の情緒に最も強く訴える美しいお話です。
そして歌舞伎の「勧進帳」は團十郎さんの十八番でした。
安宅に行ってみたいな・・・と思いました。
金沢はこれまで何度も訪れているし、新幹線開通できっととても混んでいるだろうし・・・と
海老蔵さんのブログをきっかけにまだ行ったことのない小松に行くことに決めたのでした。(^-^;

あ!こんなところにも。やっぱり潜んでいるのですね!!((+_+))

立派な社殿。

戻ります。時代は平家物語の頃。
兄の頼朝に追われる義経は奥州の藤原秀衡のところへ逃れるために
弁慶ら家臣と加賀の国安宅の関にやってきます。
見つからないように皆、変装していました。
弁慶は山伏の姿に、義経は荷物持ちの姿に。
ここで出会うのはこの地の実力者、富樫左右衛門。
頼朝から義経を捕まえる命令を出されています。
富樫氏は一行を怪しみます。
山伏姿の弁慶は東大寺再建のための寄付金集め(勧進)のために
ここを通過するのだといいます。
それなら、その勧進を読んでみろ、と富樫氏。

弁慶はたまたま持っていた白紙の巻物を本物の勧進帳であるかのように
朗々と読み上げます。
これができたのは弁慶はかつては比叡山の僧侶だったからでした。
うーん、やっぱり本物だな、と富樫氏は通行を許可するのですが
荷物持ちがやっぱり怪しい。(一一")
本当は義経ではないか?、いやきっとそう・・・と富樫の部下が
一行に疑いをかけます。緊張が走る場面です。
そこで弁慶は主君である義経に向かい
「お前のせいで余計な疑いをかけられたではないかっ!!
」と叱責し、

杖でビシバシと義経を打擲し、なんとか疑いを晴らそうとします。
本当は弁慶と義経であることを見破る富樫。
でも命懸けで主君を守ろうとする弁慶の姿から彼の心中を察し、
騙されたふりをして一行の通行を許可します。

左から義経、弁慶、富樫。

無事、難関を突破した後、弁慶は義経に非礼を詫びますが
義経は「弁慶の機転のおかげで助かった、、」と弁慶にお礼をいいます。
一行は無事に奥州藤原氏のいるところへ逃げ落ちることができたのです。

神社の脇は海がみえとても美しい秋の青空が広がっていました。
今回、初めて知ったのですが、有名な「安宅の関」、
これは箱根の関所とは違って、
「義経を捕まえるためだけのために」、たった一回きり設置された関所だったのだとか。
敷地内にある資料館にも寄りました。

勧進帳は舞台だけでなく、映像化も何度かされています。
何年か前にも大河ドラマで放映され、その時は義経を滝沢秀明さんが演じられました。
これは更に昔の映像の一場面。
弁慶が富樫氏の前で白紙の勧進帳を読み上げる場面です。
若き日の児玉清さんが富樫氏を演じておられますね。

日本史の中で戦国時代は個性的な戦国武将が次々と登場する
面白い時代だったと思いますが、
裏切りや陰謀策略も当たり前で、なんとも節操のない時代でもありました。
それに比べると、平家物語の時代は、まだどこかに人間としての美学が
残っているように感じます。
やっぱりこの場面、私も思い出すと切ない気持ちでいっぱいになります。
こちらは松竹が製作した「勧進帳」の歌舞伎衣装です。
左は義経、右は弁慶の山伏の衣装。

これは富樫氏着用の衣装。
3着で800万円とのこと。


わかりやすく解説された舞台の映像も見る事ができます。
先月16日、海老蔵さんはこの地で「勧進帳」を演じられたそうです。
お父様の團十郎さんがご健在の頃からぜひ安宅でやりたいといわれていたそうで
團十郎さんの想いをようやく実現されたのですね。
この時は獅童さんが富樫の役をされたようです。

無事通行を許可してくれたお礼にと弁慶が置いていったという
ほら貝のレプリカ。

義経ら一行がこうして難関を突破したことから
安宅の住吉神社は全国で唯一の難関突破の守護神として
人生の様々な難関を突破する神徳があると語り継がれているそうです。
神社の巫女さんとお話していたら、海老蔵さんと獅童さんも先月ここへお詣りにみえたとのこと。
海老蔵さん・・・現在闘病中の奥様のことを祈られたのではと思いました。
麻央さんがどうか今直面している、人生の難関を突破できるようにと思ってしまいました。

安宅の関から車で5分くらいのところに富樫氏の菩提寺があります。
弁慶のおいていったほら貝も本物はこちらで保管されているそう。
だめもとで行ってみましたがやっぱり閉まっていました。
関守富樫の配慮で義経一行はここで休憩したそうです。

清々しい気持ちになったこの日でした。
