
日経新聞の日曜版に書評のコーナーがあり、いつも楽しみに読んでいるのですが
ここで少し前に連合会長の神津氏が薦めておられたのがこの一冊。
大変読みごたえがありました。今の世界を覆っている殺伐とした空気の原因を
明快な論理でわかりやすく説明してあります。
非正規雇用増加による格差の増大、環境の悪化、個人商店の消失、犯罪や悪質な詐欺の増加など・・・
世の中が大半の人にとって暮しにくいものになってしまった原因が行き過ぎた資本主義にあるとしています。
企業は株主の利益のために存在するという価値観がはびこることで、という説明は他の書籍などでも
書かれていますが、著者は悪いのは強欲な企業や資本家、巨額の資金を運用する金融機関ではないと
いっています。
それどころか実際に資本主義の暴走には我々の一人ひとりが知らず知らずのうちに与してしまっていると。
我々一人ひとりの力は小さいけれども「少しでも安い商品を」、「少しでもリターンの高い投資を」という「消費者」や「投資家」としての個人の一面が巨大なプレッシャーとなり、それが結局は個人のお店を閉店に追い込んでしまったり、地域のコミュニティーのつながりを希薄にしたり(これが犯罪の増加にもつながるのではないかと思う)、貧困層の増加を促してしまっているということです。
こうした資本主義の行き過ぎにブレーキをかけるはずの民主主義は、
暴走する資本主義に飲み込まれてしまい、機能不全に陥ってしまっているという。
米国の政治が企業のロビイストに強く影響されているという現実や
日本でも業界団体からの働きかけが弱い立場の者を更に追い詰めているのではないかと。
著者も書いていて、自分にも当てはまっていて、はっとしたのは、こんな現実を憂いながらも、
自分の本棚をみたら殆どがアマゾンで買ったものばかりで愕然としたという下りでした。
そして小金があったらお小遣いを増やそうとして株式に投資していたり。
実は私自身も自分で自分の首を絞めていたという。(゚Д゚;)
古今東西、「人間の欲望」が社会の発展を促してきたことは紛れもない事実。
でも今はそれが「行き過ぎてしまっている」。個人の中の「市民」の部分が薄れ、自己の目先の利益を
追うばかりに欲望をコントロールできなくなってしまっているという現実。
個々の人間の内側に埋もれてしまっている道徳観をいま一度、呼び戻す時ではないかと。

なぜ身体に悪いものを食べてしまうのか?という疑問に対する解説が興味深くて読みました。
以下抜粋
~人間の体は疲労がたまったり、精神的に追い詰められたりしてストレスがかかると
かかったストレスと同じくらい強い刺激で、そのストレスを打ち消そうとします。
多忙な生活を送っている人が毎晩のようにお酒を飲んでいるのも、仕事の忙しい女性が
デスクでチョコレートを一気食いしてしまうのも、仕事のストレスをお酒や甘い食べ物で
打ち消そうとしているからでしょう~(引用終わり)
「刺激には刺激で対抗する」というのが体の自然な反応なのだそうです。
野生動物は身体に必要なものや量を本能でわかっているので決して
肥満という状況になることはありません。
人間も心身が本来のストレスフリーの状況であれば体が何を求めているのかが
教えられなくてもわかるはずですし、食べ過ぎて生活習慣病に陥ったりダイエットを
一年中やる必要もないということですね(^-^;
いろいろ反省させられることの多い中味でした。

ここ10年ちょっとの間に頻繁に耳にするようになった「自己責任」という言葉。
この言葉に遭遇するとなんともいえない居心地の悪さというか、人を突き放すような冷たさを感じていました。
あまり好きではないです。この言い方。精神科医の著者によると、「自分は関係ないよ、責任をとらないよ」という
弱者に責任を押し付ける保身と欺瞞の言語だという。そこを掘り下げて書かれたのがこの一冊。
現代の日本はバッシングの対象を常に探しているという著者の指摘。
その理由のひとつに自己責任論の背景にある「自分たちは正義である」という強い考え方があると
分析しています。なぜ正義と悪を明確に分けなければ気が済まないのか。それはグレーの部分を
認めることができないということ。人間なんて完全な善の人などいるわけがない。誰にでも黒い部分は
あると思います。でもそこを認めようとせず叩く。マスコミがその流れを後押しする。これは日本人の
認知的成熟度が年々低下している証拠なんだそうです。
どうして自分は正義の側の人間だと主張したがるのか。例えば「貧困は自業自得」というひとたち。
多分、いつ何時、自分も弱者の側に立たされるかもわからない、
そうはなりたくないという恐怖心が働いているので、余計に他者をバッシングすることに
走ったりするのではないかと感じました。完全な人間などというのは幻想にすぎません。
善悪二元論の単純思考からは抜け出すことが必要と。
物事が起こるには複数の因果関係があってのことであり、
それを理解するための複眼的思考ができるようになること。
生きにくい今の世の中を生きていくにはこういうことが必要なのかと。

著者は二ナ・リッチのオートクチュールの支配人を務めた方で
この本自体はかなり昔に書かれたものだそうです。
少し前に読んだ「フランス人は10着しか服を持たない」という本がとても興味深い内容で、
そこに書かれていたようなライフスタイルの本かと思って手にとったのですが、
ドレスコード等についての内容が殆どで、ブラックタイのパーティーに行くこともない私にとっては
大半が縁のない遠い世界の内容でしたが、なるほど~と納得したことをいくつかあげてみます:
1) 掘り出し物について:理性で選んだ結婚よりも、ひとめぼれのほうがたいていうまくいくもの。
つまり、お得な掘り出しものだと判断して買ったものは結局殆ど身に付けず、逆に全くの愚行だと思うような
抑えがたい衝動に駆られて買ったものはたいてい早いうちにモトがとれる。
2)人生の中で経済的に恵まれている時には多くの洋服よりも高級なジュエリー、ハンドバッグを買っておくこと。
3)本当の贅沢とは真の高級品がそうであるように殆ど気づかれないものであるべき。その道に通じた
少数の人の目にだけわかればよい。
上記の他にも、さすが洋服文化が長い、というか洋服文化の本場の国の人だけあって、
洋服に関する考えの深さには学ぶことが多くありました。
今月はあとこんな本を読みました。


