
旅行3日目、ホテルをチェックアウトして舞鶴方面へ。
舞鶴は海軍ゆかりの地です。
日露戦争の時の東郷元帥は舞鶴鎮守府初代司令官でした。
歴史上の人物の中でも好きな人なので旧海軍にまつわる
資料が展示されている海軍記念館に行こうとしたのですけれど
入館日が決められていて、この日はダメだとのこと。(>_<)
うーん、残念。まあ、毎度行き当たりばったりの旅が基本なので
仕方ないです。近くに車を停めて自衛隊桟橋で海上自衛隊の船を近くで見学しました。
こちらも日によっては乗艦できることもあるようです。

舞鶴にはジャパンマリンユナイテッドの造船所があります。
その昔、ここは舞鶴海軍工廠で、駆逐艦の多くが建造されました。
遠くに建造中のタンカーが見えます。大きいなあ。
原油タンカーでしょうか。30万トンくらいあるのかな。
赤レンガのレトロ感漂う建造物。
かつては弾薬庫や倉庫として使われていたそうです。
全部で12棟こうした建物があり、うち8棟が国指定の重要文化財です。
夏休みの最中だというのに殆ど人がおらず。
この近くに「舞鶴引上記念館」があるのですが
先に行ってみたところ、ちょうど改装工事中で、展示物は臨時的にこちらの
建物の中で観ることができました。

戦争が終結した昭和20年、旧満州や朝鮮半島、そして南太平洋などに
日本人が660万人も取り残されていたそうです。
これらの人々が日本に帰国する際(引き揚げ)の港として使われたのが舞鶴港でした。
主に旧満州、朝鮮半島、シベリアからの引揚者、復員兵を迎え入れる港となりました。
暫く前に読んだ山崎豊子さんの「不毛地帯」でシベリア抑留についての
詳しい事情を知りましたが、戦後、マイナス40度にもなるという環境下で
過酷な労働に従事させられた人々が多くいたのです。
その方々の体験、そこで起こった史実などを伝えるための資料館ですが
館内では学芸員の方が展示のひとつひとつについて丁寧に説明をしてくれました。

抑留者の多くはシベリア鉄道建設に従事させられたようです。
食べ物も殆ど与えてもらえず、想像を絶する重労働で
レールの枕木一本が一人の屍に相当すると
言われたくらい多くの人々が命を落としているそうです。
長い人はここで10年以上も抑留生活を強いられたと。

舞鶴の赤レンガ建造群はこの夏に公開された
「日本のいちばん長い日」の映画でもロケ地として使われていたそうです。
夏休みに私もこの映画を観に行ったのですけれど、
ストーリーを追うのに一生懸命になっていて全然気が付きませんでした。
あとで調べてみたら、赤レンガパークが「海軍仮庁舎」、
東郷邸が「鈴木貫太郎首相私邸」などで使用されていたそうです。
同じ敷地にあった赤レンガ博物館。
古代4大文明の時代や万里の長城の煉瓦、
世界各国の煉瓦が展示されています。
こちらはうーん、いまいち興味をそそられなかったので
一応見たけど通り抜けただけ、みたいな感じで出てきました。

前日まで滞在した宮津や丹後半島は大きな産業がないためか
ちょっとうら淋しい感じがしたのですけれど、舞鶴は海上自衛隊関連の施設や
上記の大手造船所があるためか、街も開けている感じがしました。
旅もいよいよ終盤。あともうちょっと。続きます~
