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今夏はピース又吉さんの「火花」が芥川賞を受賞して、大変話題になりましたね。
文芸春秋の9月号には又吉さんの「火花」、そしてダブル受賞された
羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」の両作品が全て掲載されているので
2冊別々に買うよりお得かと思ってこちらを買いました。

感想は・・・というと、両作品とも、こんなきっかけでもなかったら
多分読む機会がなかっただろうな、、というものでした。
「笑い」というものに対する考え方が想像していた以上に真剣なものなんだなと思いましたが
実際に芸人さんの世界と私が生きている世界では生き方も考え方も、重なるところが
全くないように思えたので、共感する場面が少なかったのです。

「スクラップ・・・」のほうは介護をテーマにした小説です。何年かしたらおそらく
自分も介護の現実に直面せざるを得ないだろうし、興味深く読んだのですが
ある批評家の方が書いてみえた「ユーモラス」というよりも、登場人物の言動や考え方に
私は寒々としたものを感じてしまい、こちらには少し拒絶反応を覚えてしまいました。
でもこれが現実の介護に関わる人の感情なのかしら、とも考えてしまいました。

今回は残念ながら「ふーん・・」という感想で終わってしまいました。
他に収録されていた日航機事故遺族の手記や
戦後70年に絡むインタビュー記事などのほうが面白く読めました。
私には現代の純文学、芥川賞を取る作品のようなものを
理解できる感性がないのだと思います。残念ながら。(´・ω・`)

ただ、このタイミングで又吉さんという有名な芸人さんが芥川賞を受賞されて
良かったと思ったことがあります。
出版界ではこの直前、神戸連続児童殺傷事件の「元少年A」が
書いた本が異常な売れ行きを見せていました。
私はそれを心の中で大変苦々しく思っていましたので
又吉さんの受賞で世間の関心が一気にそちらにシフトし、
元少年Aの本への関心が同じくらい一気に低下したように思えました。

周囲から元少年Aの本を読んだ?と聞かれたりしましたが、当初から私はこの本は
手に取る気もありませんでした。というのは出版に際して、被害者となった児童の
遺族が出版に大反対されていたからです。遺族としてはまだ癒えてない傷に塩を
塗り込まれるような苦しみ、怒りを覚えられたのではないかと思っていました。
出版に反対されるということは、そういうものを他人に読んで欲しくないという想いが
遺族の方々の胸の裡にあったからではないかと思うのです。

心理学の専門家とかその道の研究者が研究の対象として読むのとは別に
私のような者が「単なる好奇心」からその著作を手にとるのはモラル的にどうなんだろう、
という想いがありました。少年Aは少年院を出て、社会人として生活しているそうですが
私はどのような事件であれ、被害者、または遺族が心から「貴方を赦します」という気もちに
なった時こそが、本当の「贖罪」が終わった時であり、「更正」がなされた時だという
考えを持っています。今回の出版に際しての遺族の反応を観ていると、20年前に犯された
罪はとても赦されているようには思えない。
つまり犯人はまだ罪を償っていないのだと思います。彼の本を買ったり読んだりすることで
間接的に遺族の苦しみを増すことに加担してはいけない、そんなふうに思います。
すみません、全然違う方向に話が逸れました。(;・∀・)

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表紙の人は戦前の思想家、大川周明です。この方の著書「米英東亜侵略史」の
全文が掲載され、わかりやすく佐藤さんの注釈がつけられています。

何が日本を戦争に向かわせたのか。
当時の世界情勢を俯瞰すれば、それは軍部の独走とか、
日本国民が当時の国家指導者に騙されて集団ヒステリーに陥って戦争に突き進んだ・・
というような部分的なことのみが原因ではなかったこと、
日本がなぜアメリカ、イギリスとの戦争に至らざるを得なかったのかが、
客観的事実をもって、極めて冷静に書かれています。

大川周明は戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されましたが、精神障害があるとして
免訴されています。極東国際軍事裁判の法廷において、東條英機の後ろに
座っていた大川が東條の頭を突然後ろから叩き、ウエッブ裁判長が休廷を宣言した時、
彼は「一場のコメディーだ、みんな引き上げろ!」と叫んだといいます。

この経緯は記録映画で何度も観ていましたが、大川は梅毒に冒されているとか
狂人だとか言われていて、こんな思想家に日本が率いられていたとは
当時の日本も大変お粗末な状況だったのだなと思っていた時もありました。
実は国民にそう思わせるように連合国側が仕組んだものでもあったようです。

この米英東亜侵略史を一読し、大川の視野の広さと洞察の深さに
触れてみて(それも十分理解できてないかもしれないですが)、
彼のような一級の知識人がいたことに驚きを覚えました。
大川がもし軍事裁判の法廷で、この言説を繰り返していたら、
理論的には開戦の正統性について日本の大義と米国の大義をほぼ
互角に持ち込めたであろう、と佐藤さんは記されています。

東京裁判は連合国の日本に対する復讐で日本が二度と、米英に歯向かわないように
する「教育」の場であることを大川は正確に認識していた、とも書かれています。
このような論客が法廷の場に現れたら裁判は決して連合国側の意図するように
進まなかったのでしょう。それで精神疾患ということにして彼を病院に閉じ込めてしまい、
回復してからもGHQは彼を裁判に呼び出すことはなかったのです。

ではなぜ、今、この本を再読する必要があるのだろうか、というと、
帝国主義という考え方が世界を覆っていた日米開戦前後と、
現代の世界にはとても似通ったものが見られるのですね。
それは植民地という形ではないけれども。歴史はやはり繰り返すのでしょうか。
そうしないためにも我々は過去から学び、戦争をしない、させない、という
しっかりとした認識を持つべきだと思います。

それから文芸春秋に掲載されていた戦後70年に際してのインタビューにも
書かれていましたが、「A級戦犯」という言葉の意味は一般に思われているように
「一番罪の重い戦犯」という意味ではないそうです。A、B、Cはイ、ロ、ハのように
単なるカテゴリー(平和に対する罪)であり、歴史的常識でみるとC級戦犯が
非人道的行為という意味で、一番重い罪という考え方なんだそうです。
ドイツのユダヤ人、ロマ人迫害などはこのカテゴリーだそうです。

アマゾンのレビューを読むと「わかりやすい」と書いてみえる人が多かったですが
私の頭では、結構読むのに時間がかかってしまい、しっかり咀嚼するには
また読み直す必要があるように思います。

全編を読んでいて感じたのはイギリスや途中から変貌していった
アメリカの腹黒さといっていいのかどうかわからないけど、
性悪説的な彼らの思考形式に対し、
日本人というのは伝統的に性善説でものごとを考える民族で、
これが世界の舞台では足をすくわれることになってしまったのかと思ってしまいました。

東京裁判自体が正統性を欠くものかということに関しては
文芸春秋のほうに収録されていたA級戦犯の遺族の方が仰っていましたが
戦後の日本はサンフランシスコ講和条約の結果を受け入れたことで
戦後の新秩序への中への参加が許された側面があるのですね。
歴史というのはなかなか一面的にはとらえきれないもので
まだまだ不勉強で、理解が浅いような気がします。
ぼちぼちいろんな本を読んでいこうと思っています。

今月はあとこんな本を読みました。城山三郎さんの小説は初めて読みました。
この表題を好きな言葉にあげる人が多いので興味を持って手にとりました。

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元ミスユニバース日本代表、世界大会でも2位だった知花くららさん。
歴代のミスユニの中でもお人柄に温かみを感じさせるところがあって
とても好きな方です。(#^^#)

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アメブロで大人気ブロガーの方が書かれた本。
両方とも読みやすい内容で夏休みに寝ころんで読みました。(#^^#)

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