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著者は先月お亡くなりになった人間国宝の桂米朝さん。
当時、消滅の危機にあった上方落語を復活させた功労者です。
この本は昭和50年に出版されたもので、
中学生、高校生を対象として落語について書かれた一冊。

中高生向けだからといって決して薄っぺらい内容のものではなく
落語の形成、歴史、また人間に対する洞察など
深く難しいことが平易な文章で綴られており、私のように
落語の世界に疎い人にとっては良質な入門書だと思いました。

話芸としての落語についての解説など、
噺家がこんなに細かな個所まで配慮しているのかと
その奥深さを知るにつれ、落語への興味が一層募ります。

新作落語と古典落語についての言及も興味深いものでした。
私はあまりよく知らない世界なので、新作落語のほうが面白いと
感じていますが、やはり、この世界でも長年にわたって
幾人もの人の手によって磨き抜かれ、時代の波に押し流され、
それでも適応してきた古い落語にこそある力と深みという面白さとか、
こういう視点で落語を聴いてみたら、受け止め方ももっと変わりそうな気がしました。

上方落語と江戸落語の違いとして上方落語独特の
見台、膝隠しは、上方落語の始まりというのが
かつては天井のない野天の小屋で演じた名残なんだとか。
きちんとした設備のある座敷や寄席と違って
広場や空き地や社寺の境内のよしず張りの小屋では
どうしてもざわざわするので、ピシッと台を叩いて聴客の注意を
こちらへ向けるひとつの演出効果として台を叩きながら喋ったのだそうです。
江戸落語とは成り立ちそのものも違っていたのですね。

落語史上の人々についての解説も面白かったです。
中でも自分の落語を質入れしたという逸話をもつ初代文枝についての
話など印象に残りました。同時に、現在も受け継がれる名跡を継ぐ方々の重圧も
それは大変なものかもなあ・・と思った次第です。(^-^;
気軽に読めて、いろいろ勉強になる一冊でした。

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著者は日露同時通訳者として活躍された方。
名前は存じ上げていたのですが、著者を読むのは今回初めてでした。
通訳論についての本なのですが、比較文化論という観点からも
読める一冊で、知性とユーモアに富んだ著者の人間的な魅力が
各所に見受けられるとても面白い一冊でした。

通訳という仕事の難しさや醍醐味について多く語られています。
彼女のような方と比較するのもおこがましいですが、
自分自身も海外との業務に関わる機会が多く、
またそれゆえに悩み、迷うことが多くあり、
共感する部分が非常に多くありました。
それに目から鱗的な指摘がたくさん書かれていてとても勉強になりました。

あと、著者も幼児期からの英語教育については
否定的な見解を持っておられたようです。
外国語を生業とする人と話をしていてよく話題になり、
不思議にいつも意見が一致するのが、小さいうちからの外国語教育です。
外国語ができる人ほどこれには否定的な見解を持っています。
幼児期から英語教室に通わせることが
人生にさほどプラスになるとは思えません。
幼児期から外国語教育を徹底してやると思考力が不安定な
人間になることが多々あるそうです。
小さいうちこそ母国語の能力を高め、母国語で深く考える習慣を
付けさせるべきではないかと。
すみません、脱線しました。これについてはまた別の機会にでも。(^-^;

今月、このほかに読んだ本。
米朝さんをもう一冊。日経新聞に連載された自伝です。
ここでは自死されたお弟子さんの枝雀さんのことにも触れられていました。
どちらかというと学究肌な印象のある米朝さん。
読めば読むほど偉大な方だったのだろうと思いました。

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浅見帆帆子さんは昔から好きなエッセイストです。
だいたいどの著書にも同じことが書いてあるのですが(笑)、
読んでいると心が軽くなります。

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毎月10冊くらいは読みたいと思っていますが
今月はちょっと無理でした。(-_-;)
今、あなたの夢は?と聞かれたら
好きなだけ寝られて、好きなだけ本を読める生活、と答えそうです。


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