一週間ほど早いですが年末なので早い目にアップします。
 
イメージ 1
日経新聞文化欄に「私の履歴書」と題して、経済、文化、政治など
いろいろな分野で活躍されている著名人の自伝が月替わりで掲載されています。
(今月は萩本欣一さん)
これはHONDAの創業者本田宗一郎氏が55歳の時(1962年)に
掲載されたものを書籍化したもの。
編集者による履歴書掲載後のエピソード、
本田宗一郎語録を加えた3部構成となっています。
 
表紙に写る著者の表情が非常に魅力的で、それがこの本を手に取り、
読むきっかけになりました。
現役を引退される頃の写真かと思うのですが、子供のようなやんちゃで無邪気な
表情をされています。生涯を通して、純粋に夢を追いかけ、一介の自動車修理工から
世界のHONDAを育てあげるまでの経緯が綴られています。
 
豪放磊落、破天荒、親分肌・・一読した後ではこんな表現が浮かびます。
芸者遊びも結構派手だったようで、
芸妓と一緒に車で遊びに行って天龍川に間違って車ごと落ちてしまった話とか
宴会で酔っぱらって芸者さんを窓から突き落としてしまい、
一歩間違ったらあの時、溺れて死んでたかも、
あるいは殺人で塀の中の人生になっていたかも、
そうしたらHONDAはなかったかも、とか書いておられます。
こういう遊びの経験が人間の心の機微を学ぶきっかけになったと
本人は言っておられます。確かにそれも言えてると思うのですが
家にお金は入れてもらえないし、
奥さんとしてはたまったものではなかったでしょうか。(^^;
 
HONDAが大企業になってからも部下の人たちからは「おやじ」と呼ばれ、
怒るとスパナや定規が容赦なく飛んでくるような熱い人だったそうです。
本田宗一郎氏を25年間支えた経営上でのパートナー、藤沢武夫氏との出会いも
非常に印象的です。経営の名手、藤沢氏との出会いがなかったら本田氏はもしかしたら
地方の自動車修理工場のおやじさんでその生涯を終わっていたかもしれません。
 
それを思うと本田氏は一目で相手を見抜く素晴らしい才能を持っておられたのかと。
そして後年、後継者を育てた後、二人が第一線から身を引く時の潔さも
それは鮮やかで、とても格好いいのですね。
 
破天荒な生き方をされた著者の言葉の中でメモしておきたいなと思ったのが
「私がやった仕事で本当に成功したものは、
全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。
99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である」
という言葉です。
 
また、本田氏は機嫌の悪い時はいつも帽子を目深にかぶっていたそうです。
そんな時、現場はさりげなくスパナや定規を隠していたとか。
本田宗一郎氏のどこまでも陽性なキャラクター、
それから氏が目下の方々に心から慕われた人物であったこと、
経営と現場との一体感をこんなエピソードからも伺うことができます。 
日本経済が拡大を続ける追い風の中で活き活きと仕事ができた
当時の方々を羨ましくも思いました。興味のある方にはおすすめしたい一冊でした(#^^#)
 
イメージ 2
 
世界的建築家の安藤忠雄氏。こちらも「私の履歴書」に掲載されていたものを
書籍化したもの。安藤さんの「履歴書」はリアルタイムで読んでいましたが
まとめて読み直してみようと思って買い求めました。(#^^#)
 
私自身、安藤さんの人間性にとても魅力を感じ、数年ほど安藤さんが設計された
西日本各地の建造物を観に行っていたことがありました。
環境保護や被災地の復興という視点から建築に携わってみえる方です。
 
この本の中で印象的だったのが、厳しい予算の壁を超えて完成した
大阪府茨木市にある「光の教会」のくだりです。
 
イメージ 3
 
光の教会の写真。ウエブサイトからお借りしました。
 
U2のボノがこの教会をみたいと、わざわざアイルランドからやってきたそうです。
安藤さんはその時、ボノのことをよく知らなかった。
 
以下引用になりますが・・・
「光の教会に足を踏み入れ、しずかに腰かけたボノは
「祈ってもいいか?」そして「歌ってもいいか?」と慎ましく尋ねた。
祈り終えると説教台のほうに歩み、アメージング・グレイスを歌いだした。
光の教会の空間はボノの歌声につつみこまれた。
居合わせた人たちの目に涙が浮かんだ。私も感動した。
「凄い歌手なんだ」私は改めて世界中にファンをもつボノの存在の大きさに気づいた。
まさに魂に届けられた歌だった。
 
この教会は大阪にあるのですね。
十字架の部分にはガラスが嵌めこまれているそうですが
当初、安藤さんは開けっ放しにして季節の空気をそのまま感じられるように
したほうがいいのではないか、と提案したそうです。
でも施主から、それでは冬は寒すぎると反対があって実現できなかったそうです。
いつかガラスを外す機会を狙っている、と書いておられました。
教会の始まりはおそらく、安藤さんが提案されたように、自然を直接肌で感じる場で、
昔の信者らはそこに神を感じたのではないかと思います。
でもやっぱり現代では寒すぎますね。私が信者なら冬は教会に行かなくなりそうです。
 
安藤さんの生き方にはいろいろインスパイアされるものがあります。
もっと著作を読んでみようと思って今月はあと5冊ほど安藤さんが書かれた本を
買いました。読むのは来年になりそうです。(^^;
 
イメージ 4
 
現代日本の技術の礎を築いた著名技術者らの戦前、戦中、戦後を
インタビューに基づいて綴った一冊。
三菱零戦設計チームの堀越二郎、曾根嘉年、
新幹線の産みの親、島秀夫、
戦後の造船業界をけん引した真藤恒、
電探の緒方研二、
HONDAのF1参入を支えた中村良夫。
 
一日一章づつ、読みました。伝説化された堀越二郎氏、本田宗一郎氏を
別の側面から描写しており、現代の我々が抱いている二人のイメージと
著者がみた実像とは随分違うものだったことも印象的。
 
零戦設計者として名を馳せた堀越さんも
戦後は組織の中で孤立した存在だったそうです。
真藤氏の権力に媚びない筋の通った生き方すごい。
今の時代にこんな人、あまりいないのではないかと思いました。
 
新幹線の親ともいわれた島氏、国鉄を地域ごとにJRとして分割することに
反対されていたそうですが、リニアの実用化にも疑問を抱いておられたようです。
スピードを求めるよりも現在の新幹線の安全性にもっと注力するべきであると。
それを思うと、コンコルドが消えてしまったことを思い出されます。
 
現在の新幹線が安全に走行できているのは、戦前から島秀夫氏の父親の代からの
構想があってのことだったのですね。現代の日本には百年の計でもった国づくりを
考える人材がいなくなってきているとの懸念。
ちょっとびっくりだったのは、東條英樹元首相の次男が三菱製作所で
堀越さんの片腕として零戦設計に参加していたこと。全く知らなかっただけに意外でした。
 
最後にこれも抜粋ですが、現在の日本の製品の優秀さ、これは
戦後のゼロからの出発に際して、技術者たちが戦前、戦中における体験を批判的に
検証し、反省と教訓を頭に叩き込んで、その後の生産活動に励み、地道に努力して積み上げてきた結果~(中略)~様々な要素や矛盾を噴出させ、さらけだす戦争、そして敗戦、ゼロからの復興を体験しているだけに物事をとらえる目も複眼的でグローバルであり、
日本人の深層部分も踏まえつつ、またその根底にある歴史認識にも深いものがある
 
人物がどの人も大変魅力的。技術職、あるいは製造業に関わっておられる方には
更に一層興味深く読めるのではないかと感じました。
 
今月はあとこんな本を読みました。
 
イメージ 5
 
 
戦後日本を代表する弁護士で平成の鬼平と呼ばれていた中坊氏。
森永ヒ素ミルク中毒の被害者救済、豊島産廃不法投棄事件で豊島住民の側にたった
活動など、多く活躍されていたそうです。この本を読むまでよく存じ上げなかった方です。
人間の善性を信じ、弱者のために働いておられたその姿に感銘を受けました。
ヒ素ミルク中毒の被害者の方々のこと、読んでいたら涙が止まりませんでした。
 
イメージ 6
 
 
イメージ 7