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先週末、滋賀までパンケーキを食べに行った際、
時間待ちの間に地元の観光をしました。
お店から車で10分くらいのところにある水口城址にいきました。
 
水口城はもともと江戸幕府3代将軍家光が上洛する際に
宿館として築かれたお城です。
このとき、小堀遠州が作事奉行(土木事業などの総責任者みたいな役職?)を務め、
京都の二条城を模した御殿が築かれました。
 
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とても豪華な御殿だったとのことですが、使用したのは築城時に
家光が上洛した時の一回だけだったとか。
その後は城番がいたものの、歴代の水口藩はこのお城を幕府からの
借り物だとして大切に管理し、ついぞ本丸御殿とかも使用しなかったそうです。
そして明治時代に廃城になってしまったという、
その歴史をざっと見てみただけでも
なんだか「もったいないことをした」と思ってしまうお城でした。
 
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現在は往時の隅櫓が復元され、資料館となっています。
隅櫓とはお城の隅に設けられた櫓のこと。
櫓というのは、「矢倉」、「矢蔵」と書くこともあり、武器庫だったみたいです。
監視あるいは司令所の役割を果たしていました。
 
入館料を入口で払って館内へ。
平成3年に建てられたとのことですが
かつての古材も使われていると説明してもらいました。
最初、解説のビデオを見せてもらったのですが
資料館の方がとても親切で、お茶まで出していただきました。(#^^#)
 
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館内はそれほど広くはなく、最小限程度の展示物があるだけでしたが
いろいろ説明をしてもらい、興味深く拝見することができました。
 
こちらは往時の御殿の復元模型。
天守閣はありませんが、本格的な本丸御殿があり、
優雅な 造りで小さい二条城といった感じか。
 
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現在も残っているのは手前の出っ張った部分のみです。
隅っこに資料館があり、本丸に続く大手御門が復元されていました。
この向うは今は地元の高校の運動場になっています。
 
 
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今回初めて知ったのですが水口は「かんぴょう」が有名ということ。
 
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「みなくちかんぴょう」っていうのがあるのだとか。
近くなのに、こんなこと全然知りませんでした。"(-""-)"
 
安藤広重の「東海道五十三次」で「水口宿」の絵は
「かんぴょうを干す水口の女性たちの姿」が描かれているそうです。
ネットで探してみたら、ありました。
 
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話が横道に逸れてしまいますが、かんぴょうといえば栃木県が有名です。
ネットで調べたら全国シェア9割以上もあります。
これはもともと、水口城主の鳥居忠英が下野国 壬生藩 (栃木県)に
国替えになった時、この土地の生産物があまりにも少ないので
かんぴょうの種を旧領地から取り寄せ、栽培を奨励したことが始まりなんだそうです。
なんでもルーツを探ってみると意外なことがわかったりしますが面白いですね。
 
そろそろ駐車場に戻ります。
運動場の周辺はこんなになっています。
土塁状態ですが明治時代までは総石垣造りだったようです。
 
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今回は時間が足りなくて、行くことができなかったのですが
次回の水口訪問時に目をつけているのがここ、水口岡山城跡です。
 
時代はもっと遡り、豊臣秀吉の時代の山城ですが、
こちらのほうが興味をそそります。
 
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気候の良い今の時期、今年もできるだけたくさんの場所に
足を運びたいものです~。(*^▽^*)
 
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