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 連休の旅行から戻って既に1か月が過ぎてしまいました。
忘れないうちにメモメモ。旅の最終日、八幡原史跡公園を訪れました。
戦国時代、武田信玄と上杉謙信の間には5回にわたって戦いが行われました。
ここが激戦の地となった八幡原です。現在は公園になっており、
八幡社の境内があります。写真の銅像は第4次の戦いで、
謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めた伝説に基づいて作られたもの。
 
ちょうどボランティアの方が川中島の戦について
観光客に説明しておられるところだったので、
私たちもそのグループに飛び入りさせてもらいました。
 
布陣図です。赤色が武田軍、青色が上杉軍。
 
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ガイドさんの説明はとても面白くてわかりやすかったです。
 「人は城、人は石垣」がモットーだった信玄のところには
立派な人材が集まっていました。軍師山本勘助もその一人でした。
第4次の戦いで、彼は上杉軍に対して、ある戦法を進言したのですが
謙信に裏をかかれて、武田軍は逆に窮地に陥ってしまいました。
「ヤマカンが外れる」の由来はここから来ているのだとか。
(他にも諸説あるみたいですが・・)
 
旧八幡社前にある欅の木は樹齢700年にもなるそうです。
謙信と信玄の一騎打ちもみていたことになりますね。
 
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ここの社務所で授けてもらえる身代わりのお守り。
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ガイドさんが教えてくれたのですが
10年ほど前に大変な事故に遭われたとのこと。
ご本人はそれほどの怪我もなく済んだそうですが
お医者さんには助かったのが奇跡といわれるほどの
状況だったとか。事故のあとで、身に着けていたお守りをみると中のお札が二つに割れていたそうです。
 
それまでは身代わりといっても、信じていなかったけれど、実際に割れてしまったお守りをみてびっくりしたと仰っていました。
 
勝負の神様である八幡様が守ってくださったのですね。武田信玄も本陣を敷いた場所にあるこの神社はこぶりなお社でしたが、ご利益も大きいそうですよ。 
 
 
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激戦地となった八幡原には緑が広がり、当時の面影はありません。
きらきらとした新緑を眺めていて、生きているのが
いまのような平和な時代で良かったなあと思いました。
 
 
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