
旅3日目、戸隠山から下りて、
長野の市街地に戻ってきたのが既に4時半でした。
短い時間でしたが善光寺にもお詣りしてきました。
一日のピークが去った後で、周辺の駐車場もだいぶ空いていたので
すぐ近くのコインパーキングに車を停め、境内へ向かいました。
門前町はまだまだ賑わいを見せていました。

昔は女性がお詣りできなかったお寺がたくさんあったのですが
善光寺では女性も平等に受け入れてきた歴史があります。
現在も多くの人が訪れ、年間の参拝者数は600万人にも及ぶそうです。
仁王門の仁王像。
鎌倉彫刻のようなリアリティと圧倒的な存在感がありました。
あとで調べてみたら高村光雲とお弟子さん米原雲海の合作だそうです。
高村光雲の有名な作品といえば上野の西郷隆盛像があります。
そして、詩人の高村光太郎はこの方の息子さんです。

仁王門を過ぎて次は山門。
江戸中期の建立で高さも幅も20メートルと大きいです。

善光寺本堂です。
善光寺の歴史は飛鳥時代までさかのぼるそうです。
現在の本堂は1707年に再建されたもの。
間口24m、高さ30m、奥行き54mという壮大な伽藍です。
東大寺を見慣れているためか、大きさという点では
驚きは少なかったです。
調べてみたところ大きさでは東大寺大仏殿、三十三間堂に次いで
日本の木造建築として3番目の大きさです。

東大寺は大きいですが、内部は巨大な大仏様が占有しています。
三十三間堂も千体といわれる仏様が並んでいて、お参りする人は
端の通路を通っていくだけです。
でも善光寺の本堂は信者がお詣りするためのスペースが
大変広くとってあるように思いました。
畳敷きの内陣は金色燦然とした仏具で飾られ、
遠い昔、ここを訪れた多くの庶民は燦然と輝く欄間に
極楽を想い、極楽往生を祈ったのかもしれません。
お戒壇巡りをして、外へ出ました。
(人が多すぎてあまり効果なかったかも?)
本堂東南にある鐘楼です。

長野オリンピックで開会を告げる鐘の音はここで鳴らされ
全世界に響き渡りました。
本堂北西にある忠霊殿。
戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった
240万余柱の英霊をお祀りしている霊殿があります。

ところで善光寺といえば「牛にひかれて善光寺参り」といいますね。
なぜ牛に?? 疑問に思ったので調べてみました。

昔、欲深くて性根の悪いおばあさんがいました。
ある日、さらしていた布を角に引っ掛けて逃げた
隣家の牛を追い,知らずに善光寺へ行った。
お堂に入って仏様のお姿をみたおばあさんの心に仏心が芽生えた・・・という。
日本昔話みたいですが、詳しい説明はココにあります。