
玄宮園はお城の北東にある大名庭園。
第四代当主直興が造営したもので、その名は
唐の玄宗皇帝の離宮(庭園)を模したことに由来しています。
庭園部分を「玄宮園」、建物部分を「楽々園」と分けられています。
この庭園は今でも時代劇のロケに使われるそうです。
そういわれると、どこかで観たような気になるものです。
築山にある茶室は藩主が客をもてなすための客殿でした。
ここでお薄をいただけるのですが、
なんと建物の前に到着した瞬間に閉店時刻(16:00)となり、
ガラガラと扉が閉められてしまいました。( ゚Д゚)

こちらは楽々園部分。
幕末の大老・井伊直弼もここで誕生しています。

写真の「御書院」のほか、「地震の間」、「楽々の間」、「雷の間」と名づけられた
江戸時代後期の数寄屋建築が現存しています。
地震の間、雷の間などは、白いカバーがかけられていて見ることができませんでした。
「地震の間」は名前の通り、耐震構造の建物だったことからこう呼ばれているとか。
柱が土台に固定されておらず、天井裏で対角線方向に綱が張ってあり、
建物全体を軽い数寄屋造りとし屋根を軽いこけら葺き、
土壁も比較的少なくしてあるのだそうです。
「雷の間」というの由来は何なのか調べてみたところ、
江戸時代の大名は地震の時に逃げ込む部屋や
雷を避ける部屋を造らせていたそうで、そのための建物だったのですね。